青と緑好きな、ふにゃ。他愛ない話 -4ページ目

青と緑好きな、ふにゃ。他愛ない話

普通の日々の絵ブログです。。
他愛ないできごと、下町の賑やかな毎日そのまんまかも??


4月10日に100歳になる母に
その2日前に会ってきました。

母のいる老人ホームは
隅田川沿いで桜並木がとてもキレイ。

昔々は
ちょうど入学式の頃に桜が満開だった記憶があるので

母もそんな頃に生まれたのかな
🌸🌸🌸


100年前の春☘️🍀🌿✨️


***

母は下町にずっと住んでいたので
あとひと月で19歳という頃 東京大空襲。

空襲はそれまでに何度もあったので
B29が焼夷弾を落とすと
落ちてくる音で
どっちの方向に来るか判るんですって。

大空襲の日
ヤバい!ここら辺りに落ちる!って
親子3人で走って逃げ回ったそう。

その時に自分の親が何を持ってたかは覚えてないけど
19歳だった母が持たされたのは
大きな大きなお鍋。
中には芋の煮っころがしがとっても沢山入ってたって。

それが、命をつなぐ何よりの貴重品だったんだわね。
当時は逃げた先に食べ物が全くないから。

走ってる時にあちこちで火の手が上がったため、物凄い風になって
鍋の蓋がカランカランっと吹き上がって
あっという間に(蓋が)見えなくなったのは覚えているそう。


***


それから
さらにさらに80年。
いろんなことがあったろうな〜〜


子供達も(←ふにゃも。)
育ててくれたんよね〜〜


末っ子のふにゃももちろん
ワガママで〜〜

父母と うちらの考えも 結構、すれ違ったよね。。。
(*^^*)。。。


***


90歳代の中頃、母は
自分から老人ホームに入居。

足が困ったから。
頭と内臓はずっと元気です。
足の不自由だけ進んで。。。

今は 寝たきり。

毎日の食事も しなくなって
水を少し飲むだけ。


会話は しっかりしてる。


***


ちょっと前、
私らの結婚前後や子育て中などは

母は若くてバリバリ元気で、、
私らの生き方に不満たらたら。。。

何年も何年も 私は
『母はなんでそんなことばっかり 私達に言うんだろう?? 意味判らない』と
ずっと思ってた。


母の言葉は何度も ぐさっ!と私を刺したり。。
でも多分 母自身は気付いてない。。。




だから
老人ホームに母が入居後は

私はたった2回くらいしか会ってません。
その2回ですら 母は嬉しそうでもなく。。

なので
それ以後は ますます行ってません。
もう
白寿になろうが 100歳になろうが
会いに行ってやんない!と
私はずーっと、思ってたんです。

(会わないままで後悔する方がマシ!くらいの勢いでした。(笑) )



ところが
ごくごく最近
ふっっっと気付いたんです
『自分(ふにゃ)がそう思ってるのは
ひょっとして
親(母)に"おねだり"してるんじゃないかしら』って。


『もっと親らしくしてよ!
自分(母)の考えばっかり押し付けるなよ〜っ!!』って。
でも
そう感じてきたのは 子の ふにゃだけなのかも。。。


いや〜〜
それって
私はなんてまあ『子供』なんだろう!(笑)



自分(ふにゃ)の歩きたい方向があり→ それを親(母)は理解してくれない→ 私は傷付く→ 繰り返し。。


あれ??
自分で自分自身を傷付けてるわ。
それを親のせいにしてる。(←アホだわ〜)



あららっ?
そもそも
うちの親は、ああいう人間なんだわ!

ああいう人間に 子を理解しろって おねだりしても
そりゃ ムリだよね。(笑)


私が こだわり過ぎなんだ。。。



空襲の中を19歳の足で走り回った母が
築いた人生観
ああいう人間になった100年。


そこに ひよっこの私の考えを言ったって
埒(らち)が明かないやね。(笑)



『母が勧める人生とは違うとこを歩みたい』
ただそれだけなのに。。。



***


ふっと気付いたことが これ。

親子ゲンカ? 意地? こだわり?
そんな意地を張る前に。。


まず
一生懸命育ててくれたな〜〜。

こんなに生意気な子(←ふにゃのこと)になるほど
育ててくれたじゃん!(笑)




そう言えば。。

母が 子供の頃の私を
手助けしてくれたこと
いっぱいいっぱいあるじゃん。。。


私が大人になってからも。。。
考え方は違っても
私のために 母なりに手足は動かしてくれたな〜〜




『ありがとう』
言うのを忘れてるわ、私。。。



言いたいけど言いたくない。。
言いたくないけど言いたい。。。




🌸🌸🌸☘️🍀🌿✨️

100年前の春は
どんなだったんだろう。。。