4.自決をすることを阻む、社会的な死への忌避の風潮(作られたタブー)
私に言わせると、「死」というものは、生まれてから遭遇する全ての命題の中で、
最も熟慮するべきものであると思っている。
誰でも必ず経験するし、回避することも、できないからだ。
よって、少々の理由(本能による死への恐れや、社会的忌避)があっても
(びびったりしないで)徹底的に考えぬくべき問題だと思う。
ところが、この日本の社会には、いくつかの死へのタブーや、誤解がある。
(1)死そのものの話や議論を避ける傾向
(2)自決(自殺)は悪いことだ、悲しいことだ、という根拠のない共通認識
(3)自決は不幸な人が精神的に苦しんだ結果おこなうもの、という誤った認識
他にもあると思うが、とりあえず、これらの「風潮」があるため、
自決をしようとする人は、うしろゆびをさされる(または、そのように感じてしまう)こととなり、
なかなか幸せに自決をすることができない、ということになる。
ここで、上記の三つに反駁(反論)しておく。
死そのものは、誰にとっても、最も重要な命題であり、
徹底的に議論し、自分にとっての、その意味や、それとの向き合い方、
それに対す対策などを、考えるべきである。
死を考えることによって、陰鬱な気分になることが嫌であり、
また、いくら考えた所で、自分が死ぬという事実は変わらないので、
考えるだけ無駄である、という考え方もあるが、
それは基本的に、「逃げている」だけであり、
(その他の命題に時間をさいている人は)
最も重要な命題から目をそらし、相対的に、死よりも重大ではない、
よく考えれば(比較的)どうでもいい命題で時間をつぶしている、とも言える。
よって、上記のような「逃げる」行為を選択した人の姿勢は、
そういう考え方もあるとはいえるが、基本的に
「最も重要な命題から目をそらし、逃げている」ことに変わりはないわけで、
とてもほめられたものではない。
むしろ、死と向き合い、徹底的に議論し、そこから逃げない人物こそ、
社会的に評価されるべきであり、何より、自分自身が自分を評価する際に、
「私は逃げなかった。私は最も大切な問題から目をそらさなかった」
と考え、誇りをもって生きていき、そして死んでゆくこともできると思われる。
ただ一般に、死を考えると、陰鬱な気分になり、
ものごとに前向きでなくなり、「希望」を持った人生が歩めなくなると思われており、
かつ、古来、自決をする人は、不幸を背負い、苦しみの中で死んでいく、という
固定観念があるため、私が思うに、
死について考える際に、誇りをもって、明るい気分で考え、
自決であろうが病死であろうが死を迎える際に、
あくまで前向きに、ポシティブな意思をもって、それを選択することが
大切だと考える。
(癌などで病死(自然死)を迎える場合も、自分は、
自決を選択せず、病死をすることを自ら選択した、と前向きに考える、ということ。)
これらによって、死や自決を含めた死を迎える方法の選択を、
前向きに、(自分が意図したという意味で)「希望」をもって、
選んでいける状態になると考えている。