9.社会を変える(あるいは宗教や国家まで作る)ことをしなければ対応できない事例の存在
結局、突然の半身不随が起きた場合は、自分で自決をすることができないので、
現在、社会にある医療や介護、福祉などの制度にのっとって、
「収容」されるべきところに収容され、晩年をすごすことになるわけだ。
で、自分の障害の程度や、肉体的・精神的苦痛の程度によっては、
それが、耐えられないほどのもの、になる可能性もある。
気にならない人はいいが、気になる人も多いと思う。
その場合、やはり、安楽死などの制度が、社会に、国家に、医療制度の一環の中に
必要になってくると考えている。
現在の世界では、安楽死(他人よる積極的安楽死(後述))の制度がある国もあるが、
多くは、治る見込みのない癌などの病気にかかっており、
かつ、手術等の治療ができないステージ4以上の進行癌であり、
かつ、癌の骨転移などの、激しい痛みをともなっているケースで、
かつ、うつ病等の精神疾患でなく、
かつ、医師と、所属する病院の倫理委員会が同意し、
かつ、病院のカウンセラーと事前に入念に話し合いをし、
かつ、遺産・保険金などをめぐる誰かの殺人・自殺幇助でないことを確認し、
かつ、家族またはパートナーの同意が必要で、
かつ、当然、本人の意思を文書で示す(またはリビングウィル(後述)がある)。
以上の全て(少なくとも複数)がないと、安楽死を実行できない場合が、ほとんどである。
また、日本には、上記の制度さえ、ない。
というわけで、残念ながら、
現段階では、私のただの妄想であるが、
私のこのブログをきっかけとして、
100年後(?)ごろに、日本に社会運動が起こり、
社会が死の議論を受け入れ、自決を(しようとする人々を)受け入れ、
安楽死を受け入れ、まわりの人々が協力しあって、
前向きに、それぞれの人が、それぞれの希望する形の、
幸せな死を迎えられる日が来ることを、夢みてならない。