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お正月休み明けに、毎月1回、近くのショッピング・モールで開催される「手作りマーケット」へ行きました。


いつも、かなりたくさんお店が出ていて、場所別にエリアを分け、スタンプラリーで抽選会をしていました。


各エリアのお店で500円以上買うとスタンプを押してくれて、3個集まると一回抽選出来るそうで、あちこちお店を見て回りました。


買ったものは、粘土細工のお店で、マトちゃんのストラップと、ミニバラのブローチ。上の写真です。

それから毛糸の詰め合わせ。下の写真ですが、上のパステルカラーだけが欲しかったんです。

春色のシュシュを作って、委託販売してもらっているお店へ持って行くつもりです。


他には、シフォンケーキとクッキー、「消しゴムはんこ」と野菜等を売っているお店で、柚子ジャムと里芋を買って、スタンプが揃い、抽選会したら、当たりだったんです\(^ー^)/。


野菜を出しているお店の柚子ジャムの瓶入りと小梅の梅干しセットでした。

両方で800円相当だそうです。


昨年末、仲間達が開いている「三井寺オーガニック・マーケット」の抽選会でも、野菜500円分が当たったし、最近ツイています(^_^)v。


フードコートで休憩するつもりでしたが、当たりが出たし、もう少し値段が高いカフェの抹茶アイスにしました。


来月も、行こうっとと思ったら、来月の第一日曜日は、小出先生の講演を聴きに行く予定でした。





2回目に泣いたのは、先生に叱られたからでした。

担任は、40代くらいの男の先生でした。

ある日、先生が何か注意事項を説明している時に、私の前の席のひょうきんな男の子が振り向いて、ふざけながら、いろいろ言ったので、「やめてよ~」と制止していたら、先生がこちらを見ていて、まずい!と思ったのですが、名前を呼ばれ、「先生の言うこと、聞いてるか?」と言われ。さらに「おまえは成績がいいからって、先生をバカにしてるんじゃないのか?」と言われたんです。

前の席の男の子は、
何も言われず、私だけが叱られました。

学校では、頑張って学級委員や「優等生」を演じていた私ですが、先生をバカにするような気持ちはなかったし、クラス全員の前で叱られたことがとても恥ずかしくて、ショックで、うつむいていました。

その時は、涙は出ませんでしたが、しょんぼりして、家に帰り、母に「先生に怒られた~」と泣きました。


これまで担任の先生達に、褒められることはあっても、叱られたことはほとんど無かったので、母も驚いていたと思います。

しばらくして、保護者懇談の時、母が先生に「この前、娘が家に帰って来てから、先生に叱られたと泣いていたんですが、」と話したそうです。

先生は、「あの時は、僕も言い過ぎました」と言ったそうです。

虫の居所が悪かったんでしょうか?教師も人間だから、そんな時もあるとは思いますが。


大人になって、振り返ると、あの時、「先生をバカにしたりなんかしていません!」と言って、教室を飛び出し、教科書やカバン等を全部残したまま、家に帰ってしまえば良かったかな?と思いました。
で、次の日は学校を休むと。

反省しながらも、怒り過ぎじゃないか?と思う先生に抗議してもいいような気がしました。

したたかな「おばさん」になったから、そう思うのかもしれません。

中学三年生の私は、まだ純真で、そんなことは考えませんでした。


「怒る」は、自分の腹立たしい感情を相手にぶつけることで、「叱る」は、相手に良くなってほしいと願って、注意することだと思います。


同僚の目の前で叱られるのは、倍以上にプライドが傷つきます。

「見せしめ」のためにされる場合もあるでしょうが。


最近の若い人達は、以前よりずっと傷つきやすくなっていると思うので、うまく効果的に叱るのも、人間力が要りそうです。





寅年生まれのせいか?気が強いと思われる私です。


強そうに見えるからか?いじめられた経験はありませんが、
中学生の時、家に帰ってから母の前で泣いたことが二度ありました。

どちらも三年生の時です。

最初は、新学期が始まってしばらくたった時のことです。

毎年クラス変えがあり、1・2年生の時仲良くしていた女の子達みんなと違うクラスになってしまい、なかなか新しい友達が出来ませんでした。

赤ちゃんの時から「人見知り」が激しく、すぐ友達が出来る性格ではなかったのですが、中学に入った時は、わりと早く同じクラスの子と仲良くなれました。

それが、3年になったら、なかなか友達が出来なくて、休み時間も一人でした。

女子は、トイレに行くのも誘い合うようなところがあるので、つらい気持ちでした。

自分から話しかけていけばいいのに、それが出来ませんでした。

ついに家に帰って、母に「お友達が出来ないの~」と泣いてしまったのです。

母がなんと言ったか?よく覚えていませんが、いつも常識的なことを言う母なので、「自分から話しかけてごらん」と言ったんじゃないでしょうか。

泣いたら、気が済んで、一人でも平気になろうと思いました。

そのすぐ後、隣の席の女の子と話すようになり、友達になれました。

彼女とは、同じ高校へ進み、クラスは別れましたが、二人とも絵を描くのが好きだったので、一緒に美術部に入って県立芸大のデザイン科を目指しました。

美大受験専門のデッサンスクールにも、一緒に通いましたが、揃って一次のデッサン実技試験で落ち、私立の美術短大へ進んだ彼女と美術とは関係ない短大へ進んだ私は、その後もつき合いが続き、それぞれの結婚後も、何年かに一度もう一人の美術部時代の友達も一緒に集まっていました。


高校や短大、就職した会社では、割合すぐに友達が出来、結婚後に住んだ夫の会社の社宅でも、近所の奥さん達と子供同士も一緒に仲良くなれました。


私と違って、「人見知り」したことがない息子を見ていて、自分から微笑みかければいいんだと学んだこともありますし、独身時代は、人に良く思われたい、愛されたいと思っていたけれど、子供を産んで居直った部分と、愛されるより愛を注ぐことで、心が充たされたからかもしれません。


母になると、強くなりますね。「“女”は強し、されど“母”はもっと強し」かな?


PTAや生協の委員になって、「仲間」というべき人達とも出会いました。


特に生協では、合併後に組合員として到底見過ごせない問題が続出し、組織の民主化を願って、知恵と力とカンパを集め、理事達と闘い続けてきた仲間達は「戦友」のようです。


6人の戦友達は、今までの友達の中では一番親密なつき合いになりました。

彼女達と話すのが一番面白いです。


一昨年からは、原発のない社会を目指して活動する「あすのわ」の人達とも繋がりました。


今思うと、中三の時の私が不思議なくらいです。不器用で、とっつきにくく見えたんでしょう。


傷つくのが怖くて、人とつき合うのを避けたり、ひきこもったり、恋愛しない若い人達も増えているようですが、世の中には ヤな奴もいるけど、魅力ある素敵な人もたくさんいるよ、その人達と影響し合って、付き合うのはゲームよりずっとずっと楽しいよと言ってあげたいです。