寅年生まれのせいか?気が強いと思われる私です。
強そうに見えるからか?いじめられた経験はありませんが、
中学生の時、家に帰ってから母の前で泣いたことが二度ありました。
どちらも三年生の時です。
最初は、新学期が始まってしばらくたった時のことです。
毎年クラス変えがあり、1・2年生の時仲良くしていた女の子達みんなと違うクラスになってしまい、なかなか新しい友達が出来ませんでした。
赤ちゃんの時から「人見知り」が激しく、すぐ友達が出来る性格ではなかったのですが、中学に入った時は、わりと早く同じクラスの子と仲良くなれました。
それが、3年になったら、なかなか友達が出来なくて、休み時間も一人でした。
女子は、トイレに行くのも誘い合うようなところがあるので、つらい気持ちでした。
自分から話しかけていけばいいのに、それが出来ませんでした。
ついに家に帰って、母に「お友達が出来ないの~」と泣いてしまったのです。
母がなんと言ったか?よく覚えていませんが、いつも常識的なことを言う母なので、「自分から話しかけてごらん」と言ったんじゃないでしょうか。
泣いたら、気が済んで、一人でも平気になろうと思いました。
そのすぐ後、隣の席の女の子と話すようになり、友達になれました。
彼女とは、同じ高校へ進み、クラスは別れましたが、二人とも絵を描くのが好きだったので、一緒に美術部に入って県立芸大のデザイン科を目指しました。
美大受験専門のデッサンスクールにも、一緒に通いましたが、揃って一次のデッサン実技試験で落ち、私立の美術短大へ進んだ彼女と美術とは関係ない短大へ進んだ私は、その後もつき合いが続き、それぞれの結婚後も、何年かに一度もう一人の美術部時代の友達も一緒に集まっていました。
高校や短大、就職した会社では、割合すぐに友達が出来、結婚後に住んだ夫の会社の社宅でも、近所の奥さん達と子供同士も一緒に仲良くなれました。
私と違って、「人見知り」したことがない息子を見ていて、自分から微笑みかければいいんだと学んだこともありますし、独身時代は、人に良く思われたい、愛されたいと思っていたけれど、子供を産んで居直った部分と、愛されるより愛を注ぐことで、心が充たされたからかもしれません。
母になると、強くなりますね。「“女”は強し、されど“母”はもっと強し」かな?
PTAや生協の委員になって、「仲間」というべき人達とも出会いました。
特に生協では、合併後に組合員として到底見過ごせない問題が続出し、組織の民主化を願って、知恵と力とカンパを集め、理事達と闘い続けてきた仲間達は「戦友」のようです。
6人の戦友達は、今までの友達の中では一番親密なつき合いになりました。
彼女達と話すのが一番面白いです。
一昨年からは、原発のない社会を目指して活動する「あすのわ」の人達とも繋がりました。
今思うと、中三の時の私が不思議なくらいです。不器用で、とっつきにくく見えたんでしょう。
傷つくのが怖くて、人とつき合うのを避けたり、ひきこもったり、恋愛しない若い人達も増えているようですが、世の中には ヤな奴もいるけど、魅力ある素敵な人もたくさんいるよ、その人達と影響し合って、付き合うのはゲームよりずっとずっと楽しいよと言ってあげたいです。
強そうに見えるからか?いじめられた経験はありませんが、
中学生の時、家に帰ってから母の前で泣いたことが二度ありました。
どちらも三年生の時です。
最初は、新学期が始まってしばらくたった時のことです。
毎年クラス変えがあり、1・2年生の時仲良くしていた女の子達みんなと違うクラスになってしまい、なかなか新しい友達が出来ませんでした。
赤ちゃんの時から「人見知り」が激しく、すぐ友達が出来る性格ではなかったのですが、中学に入った時は、わりと早く同じクラスの子と仲良くなれました。
それが、3年になったら、なかなか友達が出来なくて、休み時間も一人でした。
女子は、トイレに行くのも誘い合うようなところがあるので、つらい気持ちでした。
自分から話しかけていけばいいのに、それが出来ませんでした。
ついに家に帰って、母に「お友達が出来ないの~」と泣いてしまったのです。
母がなんと言ったか?よく覚えていませんが、いつも常識的なことを言う母なので、「自分から話しかけてごらん」と言ったんじゃないでしょうか。
泣いたら、気が済んで、一人でも平気になろうと思いました。
そのすぐ後、隣の席の女の子と話すようになり、友達になれました。
彼女とは、同じ高校へ進み、クラスは別れましたが、二人とも絵を描くのが好きだったので、一緒に美術部に入って県立芸大のデザイン科を目指しました。
美大受験専門のデッサンスクールにも、一緒に通いましたが、揃って一次のデッサン実技試験で落ち、私立の美術短大へ進んだ彼女と美術とは関係ない短大へ進んだ私は、その後もつき合いが続き、それぞれの結婚後も、何年かに一度もう一人の美術部時代の友達も一緒に集まっていました。
高校や短大、就職した会社では、割合すぐに友達が出来、結婚後に住んだ夫の会社の社宅でも、近所の奥さん達と子供同士も一緒に仲良くなれました。
私と違って、「人見知り」したことがない息子を見ていて、自分から微笑みかければいいんだと学んだこともありますし、独身時代は、人に良く思われたい、愛されたいと思っていたけれど、子供を産んで居直った部分と、愛されるより愛を注ぐことで、心が充たされたからかもしれません。
母になると、強くなりますね。「“女”は強し、されど“母”はもっと強し」かな?
PTAや生協の委員になって、「仲間」というべき人達とも出会いました。
特に生協では、合併後に組合員として到底見過ごせない問題が続出し、組織の民主化を願って、知恵と力とカンパを集め、理事達と闘い続けてきた仲間達は「戦友」のようです。
6人の戦友達は、今までの友達の中では一番親密なつき合いになりました。
彼女達と話すのが一番面白いです。
一昨年からは、原発のない社会を目指して活動する「あすのわ」の人達とも繋がりました。
今思うと、中三の時の私が不思議なくらいです。不器用で、とっつきにくく見えたんでしょう。
傷つくのが怖くて、人とつき合うのを避けたり、ひきこもったり、恋愛しない若い人達も増えているようですが、世の中には ヤな奴もいるけど、魅力ある素敵な人もたくさんいるよ、その人達と影響し合って、付き合うのはゲームよりずっとずっと楽しいよと言ってあげたいです。