会社のため!と家族も顧みずにつくした結果、家族に背を向けられたり、過労死したりする人もいましたが、サラリーマンの会社に対する気持ちは、ずっと「片想い」のままで報われることはないと思われます。


社長でさえ、変わりはいくらもいる、と思われている日本企業ですから。


その点、女子社員は出世コースから外されているため、冷めた目で社内や男性社員を見ています。


理不尽な派閥抗争に敗れ、会社を訴えることを決意した管理職が、訴状を提出した翌日に重い足取りで出勤したら、机の上には女子社員からの花束が山積みになっていたという話を読んだことがあります。


銀行員とシンガーソングライターの二足の草鞋をきちんと履き続けてきた小椋さんですが、社内では「やっかみ」や嫉妬を浴びたらしいよと義姉から週刊誌情報として聞いたことがあります。

「嫉妬」という字は女篇になっていますが、女より男の「嫉妬」の方が巧妙で、キツいと思います。


多額の印税を預金してもらっていたから、銀行も小椋さんの副業を禁止は出来なかったとも聞きました。


夜中に曲作りをしながら、銀行員としての実績も着実に重ね、浜松支店長からいずれは重役と言われていた小椋さんですが、「見るべきものは見た」と、50歳代で、第一勧銀を辞めて、歌手活動に専念することにし、東大に学士留学したりしていました。


この頃、第一勧銀は、総会屋とのスキャンダルが発覚したので、それが辞める決心をした原因かなと思ったりしました。


その事件は、高杉良原作の「金融腐食列島~呪縛」という映画になったので、生協の民主化を目指している仲間達みんなで観に行きました。

頭取が議長を務め、株主が発言希望の挙手をすると、事務局がその株主番号からその人についての情報を調べるという場面が、生協の総代会と比べて、すごく興味深かったことを覚えています。


会社への盲目的な愛情も、あまりに酷い現実を知ると冷めるでしょう。

冷めないままの人は、「少しは私に愛を下さい」と思うんでしょうね。


切ない恋の歌ではなく、会社人間の歌だったのでした。





小椋さんがその内容を解説したもう一曲は、「♪少しは私に愛を下さい」でした。

せつない片想いの歌だとばかり思っていた私は「そうだったんだ~」と思いました。


勤めていた日本勧業銀行からアメリカに留学中だった小椋さんは、第一銀行と合併するということをニュースで聞いて、「え~っ、どうしてそんなことになるんだ!俺は何も聞いてないのに!」と思ったそうです。


当時、日本はまだ終身雇用、年功序列が通用していた企業社会で、愛社精神に溢れたモーレツ社員が「俺がいなきゃ、会社は動かない」という幻想を抱くことが出来た時代でした。
社長でさえ、簡単に変えられるのに。


「社員が会社に対する想いは、永遠の片想いなのよ」と仕事一筋の企業戦士の夫を持つ友達が言っていたのを思い出しました。




若かりし頃、「彷徨」という歌を聞いてから、小椋佳さんの歌が好きです。


当時、レコードジャケットには顔写真がついていなかったので、あの声と歌詞から、俳優の篠田三郎さんのような人をイメージしていました。

実際の小椋さんとはかなり、違いましたが。


先日、BSで小椋佳さんの歌の特集を放送していました。


小椋さんが、自分の作った歌について、いろいろ話していたことがとても面白かったんです。


大ヒットした「♪シクラメンのかほり」については、ウソだらけの歌なので、書いてから長い間お蔵入りにしていたのに、布施明さんに歌をと言われて、やむなく提供したのだそうです。


シクラメンの花には香りは無いのに、恋をすると香りを感じるようになるという意味で作った歌ということは前に聞いたことがありました。


薄紫のシクラメンというのも嘘で、シクラメンには薄紫色の花は無いと言っていました。

それが、最近薄紫のシクラメンが造られたそうだと苦笑いしていました。

おまけに香りのあるものも造られたとか
で、余計なことをして、と言っていました。

あの歌の中で、本当のことは、♪時が二人を追い越してゆく~という部分だけだとも。


♪疲れを知らない子供のように、も♪取り戻すことが出来るなら、僕は何を惜しむだろう、も上手い表現だなぁと思っていました。


佐藤宗幸さんの「青葉城恋唄」とともに歌謡曲の歴史に残る名曲だと私は思っています。