昨日、夕方の関西テレビ“ニュースアンカー”アンカーズアイで、東京電力元社員で、福島第1原発で働いていた男性の話を聞いていました。
 
 
まとめて、ブログに書こうと思っていたら、「あすのわ」メンバーが報告メールを送ってくれましたので、転載します。
 
 
→アンカーズアイ、今日は東電を10年前に辞めた原発技術者のお話がありました。
 木村俊雄さん(47歳)、東電を10年前に辞め、自然と生きる人生を送り、今は高知におられます。薪を取って薪ストーブで暖を取り、電気は冷蔵庫と洗濯機のものだけ電力会社から買い、あとは太陽光パネルで賄っておられます。
 
木村さんは、中学を出て東電学園に入り、そこでは学生服など全部支給され、そして東電に就職し、福島第1原発に着任しました。
 
しかし、出てくるデータはまずいものが多く、行政、役所に出せないものばかりで、これを東電は隠蔽しており、これに木村さんは疑問を持たれました。
 
決定的なのが91年10月、福島第1原発で、冷却水により非常用ディーゼルが水没する事故があり、これにより、木村さん、原発に津波が来たら大変だと言ったら、上司に無視されたのです。
 
さらに、非常用ディーゼルを津波対策に高台に移す提案も無視されました。これに関して、関西テレビが当時の上司に取材を申し込んだら、東電は
そんなことは言っていないと、事実上の回答拒否です。そして、その20年後に事故です。
 
木村さんは、津波が来たら原発がメルトダウンすることを警告していたのです。しかし、東電は徹底的なコストカットしか頭になく、何の対策も取ってこなかったので
す。
 
そして、核廃棄物、これの処理法も確定しておらず、木村さん、30年前には、処理法は出来ると言われたのに出来ていない、これで、人間と共存できないもの(核のゴミ)を出して電気を作ることに疑問を持ったのです。
 
そして、10年前に東電を退社しましたが、3年間慰留された、優秀な方であったのです。
 
 
木村さん、太陽光パネルの設置の仕事もされており、広島で、原発に批判的なお寺に設置して、住職の方から喜ばれています。
 
また木村さんは、日本中で電気ポットを止めて、魔法瓶に変えたら、原発は3つ止まるとも言われました。
 
電気を、必要なところだけ使い、シンプルな生活にしたらいいと木村さん言われ、それを実践している今の方が充実した生活であると言われるのです。
 
 
こういう話で、スタジオにいたジャーナリストの内田誠さん、人間と共存できない核のゴミを出す原発に批判的であり、野田総理は、脱原発の工程表を出すべきだ、今のままなら野田氏は詐欺だと言われました。
 
なかなかいい番組であり、これをお知らせいたしました。←
 
以上でした。
 
木村さんの提案どおりに非常用電源を高台に移設していたら、これほどの大事故にはならず、放射能の拡散量もずっと少なくて済んだのではないかと思います。
 
同じように津波に襲われた女川原発が壊れなかったのは、東北電力の社長だった平井氏が、津波を予想して、15メートルの高所に建設することを強く主張したからで、福島は10㍍だったと新聞コラムにありました。
 
 
東京電力は、莫大な利益を上げていたくせに、防災対策を怠り、日本中だけでなく、世界の海もを放射能で汚染させているのです。
 
前の記事にmakichiさんからコメントをいただいて、「避難」について考えました。

避難したくても、自営業とか公務員というような仕事だと、仕事を辞めて行く決心がつかないかもしれません。


でも、子供の命や健康に比べたら、それも捨てられるんじゃないかと思うのは、私が当事者ではないからかもしれません。

知らない人ばかりの初めての土地で暮らすのは不安ですし、せめて親戚や友人が近くに居る町に行きたいと思うでしょう。

うちの場合は、どちらの実家にとっても、息子がたった一人の大事な大事な孫なので、避難することに反対したりしないどころか、重度心配性の父に「グズグズしないで、さっさと避難しろ!」と言われるでしょうが。


以前、地域の私立短大の公開講座に通っていた時、女性教授が話してくれたことを思い出しました。

彼女は、前に癌を宣告され、入院して治療することになったそうです。ショックの中で、「仕事は捨てられる、夫も捨てられる、でもどうしても捨てられなかったのは、息子だけ」と思ったと話しました。

うなずけました。

ほとんどの母親にとって、自分の命よりも大切なのは我が子だけです。


昨年の大地震の時、仙台の街もかなりの被害だったと知り、歌人の俵万智さん母子は大丈夫だったんだろうか?と心配していました。

息子さんが幼稚園に入園されるのを機に、ご両親が老後の家を求めた仙台に引っ越し、そこでの暮らしや歌をまとめた本をすこし前に読んでいたからでした。


ずっと気になっていたのですが、先月初め、夕刊の震災特集「日本よ!悲しみを越えて。この国はどこへ行こうとしているのか」にインタビュー記事が載り、その後を知ることが出来ました。


地震の時、会議中だった東京の新聞社から仙台に電話し、やっと繋がって、ご両親や息子さんの無事を確認出来たそうですが、交通機関が止まっていたため、仙台に帰り着いたのは、5日後だったそうです。


原発事故の放射能汚染が起き、周囲のすすめもあって、息子さんを連れて、空いていた那覇便に乗ったそうです。

始めたばかりのツイッターに、「西を目指す」と書いたら、大部分は励ましのツイートが寄せられたが、中には「行ける人はいいね!」とか「もう帰って来なくていい」とかの批判もあり、心に刺さったそうです。

それでも、この子を守るのは自分しかいないんだからと思い定めたのですが、那覇のホテルにずっと居て、テレビで津波の映像を見たりしていたら、二人とも煮詰まってきて、息子さんも様子が少しおかしくなったそうです。


そんな時、石垣島に知り合いの歌人が住んでいることを思い出し、連絡したら、いらっしゃいと言われ、しばらくお世話になったそうです。

綺麗な海で遊び、息子さんも、元気を回復してきたので、やっぱり人のつながりがある所にいなきゃダメだなとつくづく思い、長期滞在を決意して、目の前に美しい海が広がるマンションを見つけたそうです。。

今、島の小学校に通う息子さんは、打ち解けて、周りの人達に世話してもらいながら、地域社会の中で元気にいきいき暮らしているとのことでした。


「子を連れて
西へ西へと逃げて ゆく 愚かな母と
言わば言え」

と、

「まだ恋も知らぬ
我が子と思うとき
『ただちに』とは
意味なき言葉」


という歌を詠んでいました。う~ん。さすが!です。

スローガン的には書きたくはないけれども、『ただちに』と言われた時に、『後から』だって影響が出たら困ります。だって子供はまだ恋もしたことがないんですよという、母親としての感情なら歌えるかなという気がしたんだとか。

便利は快適だし、楽しいし、別にそれを否定する気はありません。でも、便利の先に何があるのか?それをどんどん研ぎ澄ませていったところに広がる空気は、それほど幸せでもなかったのかなぁって話していました。


歌人とか、もの書きという仕事はパソコンの普及で、全国どこに住んでも出来るようになりましたね。

避難して来た人達がその土地での生活をしていくための仕事を捜すのが1番大変だと思いますが、先日の交流会に来られた男性は、1番早く仕事につけるのは、『看護師』ですと言っていました。

やはり、専門職は強いんですね。


敗戦等、社会の状況や環境が大きく変わった時、男性よりも女性達の方がしなやかに素早く対応出来るように感じます。


結婚によって、住む場所も家族も変わり、その中で生きていかざるを得ない立場だからでしょうか?


毎日毎日、家事や育児などをこなして、現実的に生きているからでしょうか?


とにかく、女性達がもっともっと強く、賢くなって、子供達といきいき暮らせる社会にしていきたいものです。




原発事故後、子供を連れて避難したお母さん達でも、夫や姑達に反対され、それを振り切って避難したことで、関係が気まずくなったり、離婚してしまった方もいると聞きました。


2月、守田敏也さんの講演会の後、守田さんや実行委員の人達と福島から滋賀へ避難して来られた男性と京都へ避難して来られた女性をまじえて、お昼ご飯を食べながら、いろいろ話しました。

二人とも、それぞれの周りの避難して来た人達のネットワークを作ろうと努力されていました。


幼い子供を連れ、夫を残して避難してきたと話す女性は、もう福島には帰れないと思っているのに、ある日“いきものがかり”の「♪帰りたくなったよ~。君が待つ町へ」という歌を聞いたら、帰りたくなって、泣いてしまったと言っていました。それを聞いて、私もうるうる(;_;)してしまいました。


福島は、まだ地域の住民達の結びつきが強いのか、避難していく人は「故郷を捨てるのか」という受け止め方をされることが少なからずあるとか。

残っている子供達も、マスクをすると非難されたりするそうで、かなり放射線が高くても、マスクをしないでいるそうです。

いろいろな事情で、福島で暮らすことを選択したお母さん達は、将来子供に異常が現れたり、癌になったりしたらと不安に思い、自分の選択を責めて悩んでいると聞き、こんな辛い状況に追い込んだ人達にあらためて怒りを感じました。

地震や津波や洪水が多発する国なのに、お金儲けのために、安全だとダマして54基もの原発を造り続けた人達の責任が重いのは、もちろんですが、簡単にダマされた私達市民にも子供達に対して責任はあると思います。


使用済核燃料を10万年保管しておかなければいけないことだけでも、ちょっと考えれば、無謀なこととわかりますから。

私が原発の危険性を知ったのは、5年くらい前に市会議員の選挙を手伝った時に「原発を知る滋賀の会」の人達と知り合って、「ストップ・ザ・もんじゅ」の方の講演を聴いてからでした。


自分から知ろうとして、行動を起こさないとわからない本当のことがたくさんあるんですね。


お母さん達は、みんな賢くなって、子供達や国民の安全や命より、経済成長や自分達のお金儲けが大事なんて言っているおじさんやおじいさん達をなんとかしないとね。