前の記事にmakichiさんからコメントをいただいて、「避難」について考えました。

避難したくても、自営業とか公務員というような仕事だと、仕事を辞めて行く決心がつかないかもしれません。


でも、子供の命や健康に比べたら、それも捨てられるんじゃないかと思うのは、私が当事者ではないからかもしれません。

知らない人ばかりの初めての土地で暮らすのは不安ですし、せめて親戚や友人が近くに居る町に行きたいと思うでしょう。

うちの場合は、どちらの実家にとっても、息子がたった一人の大事な大事な孫なので、避難することに反対したりしないどころか、重度心配性の父に「グズグズしないで、さっさと避難しろ!」と言われるでしょうが。


以前、地域の私立短大の公開講座に通っていた時、女性教授が話してくれたことを思い出しました。

彼女は、前に癌を宣告され、入院して治療することになったそうです。ショックの中で、「仕事は捨てられる、夫も捨てられる、でもどうしても捨てられなかったのは、息子だけ」と思ったと話しました。

うなずけました。

ほとんどの母親にとって、自分の命よりも大切なのは我が子だけです。


昨年の大地震の時、仙台の街もかなりの被害だったと知り、歌人の俵万智さん母子は大丈夫だったんだろうか?と心配していました。

息子さんが幼稚園に入園されるのを機に、ご両親が老後の家を求めた仙台に引っ越し、そこでの暮らしや歌をまとめた本をすこし前に読んでいたからでした。


ずっと気になっていたのですが、先月初め、夕刊の震災特集「日本よ!悲しみを越えて。この国はどこへ行こうとしているのか」にインタビュー記事が載り、その後を知ることが出来ました。


地震の時、会議中だった東京の新聞社から仙台に電話し、やっと繋がって、ご両親や息子さんの無事を確認出来たそうですが、交通機関が止まっていたため、仙台に帰り着いたのは、5日後だったそうです。


原発事故の放射能汚染が起き、周囲のすすめもあって、息子さんを連れて、空いていた那覇便に乗ったそうです。

始めたばかりのツイッターに、「西を目指す」と書いたら、大部分は励ましのツイートが寄せられたが、中には「行ける人はいいね!」とか「もう帰って来なくていい」とかの批判もあり、心に刺さったそうです。

それでも、この子を守るのは自分しかいないんだからと思い定めたのですが、那覇のホテルにずっと居て、テレビで津波の映像を見たりしていたら、二人とも煮詰まってきて、息子さんも様子が少しおかしくなったそうです。


そんな時、石垣島に知り合いの歌人が住んでいることを思い出し、連絡したら、いらっしゃいと言われ、しばらくお世話になったそうです。

綺麗な海で遊び、息子さんも、元気を回復してきたので、やっぱり人のつながりがある所にいなきゃダメだなとつくづく思い、長期滞在を決意して、目の前に美しい海が広がるマンションを見つけたそうです。。

今、島の小学校に通う息子さんは、打ち解けて、周りの人達に世話してもらいながら、地域社会の中で元気にいきいき暮らしているとのことでした。


「子を連れて
西へ西へと逃げて ゆく 愚かな母と
言わば言え」

と、

「まだ恋も知らぬ
我が子と思うとき
『ただちに』とは
意味なき言葉」


という歌を詠んでいました。う~ん。さすが!です。

スローガン的には書きたくはないけれども、『ただちに』と言われた時に、『後から』だって影響が出たら困ります。だって子供はまだ恋もしたことがないんですよという、母親としての感情なら歌えるかなという気がしたんだとか。

便利は快適だし、楽しいし、別にそれを否定する気はありません。でも、便利の先に何があるのか?それをどんどん研ぎ澄ませていったところに広がる空気は、それほど幸せでもなかったのかなぁって話していました。


歌人とか、もの書きという仕事はパソコンの普及で、全国どこに住んでも出来るようになりましたね。

避難して来た人達がその土地での生活をしていくための仕事を捜すのが1番大変だと思いますが、先日の交流会に来られた男性は、1番早く仕事につけるのは、『看護師』ですと言っていました。

やはり、専門職は強いんですね。


敗戦等、社会の状況や環境が大きく変わった時、男性よりも女性達の方がしなやかに素早く対応出来るように感じます。


結婚によって、住む場所も家族も変わり、その中で生きていかざるを得ない立場だからでしょうか?


毎日毎日、家事や育児などをこなして、現実的に生きているからでしょうか?


とにかく、女性達がもっともっと強く、賢くなって、子供達といきいき暮らせる社会にしていきたいものです。