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ふんわりすとへようこそ!

~*~ I'm happy because I'm happy ~* ~

半年くらい前から、

あるオンライン瞑想会に 参加しています。

 

先生が よく おっしゃる、「静寂の音」 

 

それが どういうものなのか、

当初、よく わかっていませんでした。

 

ところが、数ヶ月経った ある日の瞑想中、

突然、理解したのです。

 

あ、これが、「静寂の音」だったんだ!

 

 

それが 本当に そうなのかどうか わかりませんが、

私にとっての「静寂の音」は

 

川のせせらぎの音のようであり、

雪が しんしんと 降り積もる音のようであり、

鳥のさえずり声のようであり・・・

 

そのとき そのときによって、

音の聴こえ方は 異なります。

 

 

そして、一度 聴きとれるようになると、

「静寂の音」は いつも 私と ともにいることが

わかりました。

 

意識を 耳に 向けるだけで、

いつでも 静寂の音を 聴くことができる。

 

静寂の音は、いつでも、そこにある。

 

 

それが、なんだか、

あのアイドルグループのデビュー曲の

(ラップ部分を除いた)歌い出しの、

最初の2行みたいで。

 

静寂の音は、私にとって、

魂の奏でる音のようなもの、

魂とのつながりを 感じさせてくれるもの

なのかもしれません。

 

静寂の音に 耳を傾けていると、

なんか 安心するんです。

 

大丈夫だ、と、思えるのです。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

今朝、瞑想をしていたときのこと。

 

自分が これまで

「消えていく」と とらえていたものが、

実は 違っていたのだ、

ということを、知りました。

 

それは、まさに 「溶けていく」。

 

消えて 失われるのは 自分ではなかった。

 

輪郭を失い、溶けていく。

消えるのではなく、広がっていく。

 

そう、消えていく、失われる どころか、

広がり、大きくなっていったのです。

 

大きくなる、っていうのは、違うな。

輪郭がないのだから、

その大きさを はかることも、できない。

 

やはり、これも、うまく 表現できません。

 

 

 

 

少なくとも、このとき、

自分が これまで 思っていたのとは

まるで 違うんだ、

ということに、驚いたのです。

 

そう、もう10年近く前になるのかな。

初めて surrender を経験したときのように。

 

 

あのときも、「明け渡す」というのは

失うことではなくて 

愛が入ってくることなんだ、

ということを、感覚で理解しました。

 

今回の、「消える」から「広がる」への変換も、

さっきは 驚いて 感動したけれど、

そういえば 以前にも 同じようなことを

経験していたような・・・?

 

この頃、忘れっぽくて、いけません(笑)

 

 

だけど、人生って、

螺旋階段を上っているようなものだから。

 

同じ経験、景色を見ているようでも

そのとき そのとき、自分のいる場所が 違っていて、

経験もまた、別のものとして

見える、感じるようです。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

きのうの コンティニュアム・ムーブメントの

Zoomクラスで体験した、

もう1つのこと。

 

 

最後のダイブが終わり、

起き上がって 座る姿勢をとったところ、

身体の中に なんだか 妙な感覚が

あることに、気づきました。

 

なんだろう、これ。

気持ち悪い・・・。

 

気持ち悪い、というのは

吐き気がする、とか、そういう類いのものではなくて、

慣れない感覚に 居心地が悪い、

というような、そんな感じです。

 

だって、自分の中に、

なにか・・ 誰か・・が いるんですもの。

 

 

とは言っても、

なにかに 乗っ取られた、とか、

そんな オカルトチックなことでは

なくて。

 

どうにも 表現できないのが

もどかしいんですけどね、

なにか 異質のものが 自分の中にある・・・

 

無理やり 言葉にするならば、

新しい目の出現、みたいな・・・

 

 

 

こんな、巨大な目が、

私の中を 占領しているような・・・

 

胃が 思いっきり ふくらんで

目になった、みたいな・・・

 

こっちを見てる?

いや、こっちから 見ている?

 

なんか、違う。

ああ、やっぱり、うまく 言えない。

気持ち悪い!

 

 

まもなく クラスは 終了したので、

私は その後も しばらく その場に留まって

瞑想していました。

 

こういうときに、

引き続き 自分のスペースで ゆったりと

過ごすことが できるから、

Zoomクラス、思っていたよりも、

かなりいいです。

 

 

さて、それから、なにが どう、

というわけでもありません。

 

しばらくすると、異物の感覚も消え、

ごく普通の日常に 戻りました。

 

ただ、その体験と関係があるのか、ないのか、

詳しくは 書かないけれど、

今朝も また、ちゅぅちゃんとの 新たなつながりを、

発見しました。

 

 

あ、私が たまたま 体験したことを、

自分の記録のために 好き勝手に 

書き連ねているだけですので、ね。

 

コンティニュアムは、

別に、ヘンな、怪しいものでは

ありません。

 

なんか いま、いろいろ 変わり目のようで、

コンティニュアムが、ちょうど うまいこと

それを 後押ししてくれているように、

感じています。

 

 

☆ コンティニュアム・ムーブメントについて

詳しくは、こちら

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

コンティニュアム・ムーブメント

というものに、2年ほど前に

出会いました。

 

なんか、この コンティニュアム、

サガプリヤワークと ベースが同じ、というか、

通じるところが たくさんあって、

たぶん 私に 合っているのだと思います。

 

 

シークエンスの後に

オープンアテンションという時間を

取るのですが、

私は この時間が 大好き。

 

ここ数ヶ月、クラスに参加するたび、

この オープンアテンションの時間に

様々な気づきを得ています。

 

 

12月からは オンラインクラスも

始まりまして、

今朝は、この Zoom クラスに 参加しました。

 

会場で行われる 通常のクラスに比べると

時間は 短いものの、

自宅で リラックスした状態で 行えることもあり、

予想以上の効果を 感じられています。

 

 

今日の、最後のダイブの時間内、

最初のオープンアテンションにて。

 

それまでのシークエンスの結果

カラダが ユルんで 無防備になりすぎていたのかな、

突然、悲しみが 湧いてきて

涙が あふれてきました。

 

会場であれば、我慢するところ、

オンラインならば、皆さん 画面の向こうなので

こういうとき、素直に 泣けます。

 

これも、オンラインの良いところですね。

 

 

言葉にすると ‘悲しみ’になるのだけども、

丸く、もやもや ふわふわとして

輪郭がぼんやりとした、その感覚。

 

最初は、いつものように、ただ 悲しいだけでした。

 

でも、あるとき、ふっと、

その感覚 = ちゅぅちゃんだ・・・

と、感じたのです。

 

 

 

よく、天国へと旅立った誰かのことを、

「心の中に 生きているよ」

なんて、言うけれど。

 

ああ、私が いままで

‘悲しみ’と 位置づけていた 

この感覚は、

実は 私の中に 居場所を移した

ちゅぅちゃんだったのかもしれない。

 

・・・ということに、

今日 初めて、気づいたのでした。

 

 

 

 

ちゅぅちゃんが、ここに、いる。

 

 

この感覚は、いまは

‘悲しみ’と よく似た 感触、カラーで

私の中に 存在している。

 

だけど、いつの日か、それは、

‘喜び’に似た雰囲気の感覚に

姿を 変えることも あるのかもしれない。

 

そうは言っても、別に、このままずっと

‘悲しみ’と 似たようなものだったとしても、

全然 構わない。

 

 

あの ふわふわを 堪能することは

もう できないけれども、

いま、ちゅぅちゃんは、まったく 別の感覚として

私の中に 存在し、

これからも、ともに 人生を 歩んでいけるのかな。

 

なんか、そんなふうに 思えたのでした。

 

 

 

☆ コンティニュアム・ムーブメントについて

詳しくは、こちら

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

2020年6月15日。

ちゅぅちゃんが、天国へと旅立っていきました。

 

21歳と9ヶ月くらいでした。

 

ちゅぅちゃんと出会ったのが

彼女が生後1ヶ月弱くらい?の頃だったから、

お誕生日がわからなくて、ね。

 

 

 

↓  こんなに大きくなりました。立派な猫になりました。 ↓

 

 

 

お鼻に、なんか ついてるよ。。。

 

 

あれから半年 経ちますが、

まだまだ、日に何度も 涙があふれてきます。

 

22年近くも一緒にいたんですもの、

あたりまえですね。

 

 

でも、いま、私、

ちゅぅちゃんがいないこと以外は

おおむね幸せに暮らしています。

 

元気なときは とても元気で、

ちゅぅちゃんの歌を歌ったり、

ちゅぅちゃんに話しかけて、一緒に笑ったり。

 

なので、どうか ご心配なく。

 

 

ちゅぅちゃん、持病は あったものの

ふだんは 年相応に 元気に 暮らしていたので、

闘病生活は 1ヶ月くらいだったんです。

 

最後は とても苦しませてしまったけれど、

ちゅぅちゃんは、本当に 頑張ってくれました。

 

 

いまも、隣に、ちゅぅちゃんがいます。

 

猫コタツを置いていた場所の すぐ近くに、

ちゅぅちゃんの場所を つくりました。

 

肉食修行をしていたけれど

やっぱり 大好きなのは お魚だったので、

ときどき お刺身を あげています。

 

たまに、いや ほとんど 毎日、

ちゅぅちゃんを ぎゅっと 抱きしめます。

 

 


 

 

ちゅぅちゃんが、エネルギー的な意味でも

いつも そばに いてくれているのは、

わかっています。

 

瞑想中に、いつでも 会いに行くことも、

できます。

 

それでも、やっぱり、

ふわふわの ちゅぅちゃんに、会いたい。

 

もふもふの おなかに 顔を埋めて、

甘えたい。

 

 

ちゅぅちゃん、いまでも とても優しくてね、

「ちゅぅちゃんに 会いたい」 と 私が 駄々をこねると、

夢の中に出てきてくれるんです。

 

まあ、あまり お呼び立てするのも

ナンなので、

できるだけ 控えてはおりますが。

 

 

ちゅぅちゃんを 失ったことで できた

私の中の穴は、

たぶん 一生 埋まることはないけれど。

 

その穴の存在も含めて 私、

ということで。

 

 

この先、私が経験したこと、

感じたこと、学んだこと・・・

 

ちゅぅちゃんに 届けられるように、

いまは カラダを 持たなくなった ちゅぅちゃんとも

共有できるように。

 

そう考えて、生きていくことにしました。

 

 

あなたのお陰で いい人生だったと

私は言うから。

必ず言うから。

 

 

また いつか、会えることを 信じて。

 

ちゅぅちゃん、ありがとう。

 

 

 

ありがとうございます。