最近、さまざまな出来事を 通して、
「‘事実’と ‘そうでないもの’の 区別は、
どこにあるんだろう?」
というようなことを、考えさせられています。
そうでないもの、というのは、
思い込みや 勘違い、錯覚などなど
事実ではないのに 事実としていたもの
・・・みたいな意味、とします。
もしかしたら、‘事実’という言葉自体が
適切ではないかもしれませんが、
他に 思いつかないので、
‘事実’ということにしておきますね。
うまく 説明できないんですけどね。
Aを、Bと 見違えて
「これは Bだ」と 思ってしまうと、
それに関連する 感情、判断、行動 すべてが
Bを前提としたものとなります。
が、ある時点で、
「あ、見間違えていた。 これ、Aじゃん!」
と 気づくと・・・
前提が 変わるから、
それに伴う 感情、判断、行動も、変わる。
この、AやBが、見えるもの、
人間の肉体感覚で 明確に 確認できるもの、
あるいは なんらかの方法で 証明可能なもの
であるならば・・・
A=事実、B=思い込み(事実でないもの)
という判断をすることが、できます。
けれども、対象が、見えないもの、
確認・証明する方法がないもの
(もしくは 方法が複数あり、どれも異なる結果となるもの)
だとしたら?
なにが 事実で、
なにが 事実でないものなのか?
確認できないケースも、出てきますよね。
どの方向から、どの部分を、見ているか?
どこに 判断基準があるのか? などにより、
事実が 複数 存在する、というケースも
あるかもしれません。
私自身、ここ数日で、
見えるものの場合 と 見えないものの場合、
両方を 体験しましてね。
もしかしたら、こういうのって、
日常的に 起こっていることであって、
それに 気づいていないだけなのかな、
なんて、思ったのです。
ひと それぞれ、
そのひとなりの 色眼鏡をかけて
世界を 見ている。
1人1人のレイヤーが 重なって
世界は 出来ている。
以前から、そんなふうには 感じていました。
けれども、もしかしたら・・・
それらの色眼鏡や レイヤーは、
私が 思っていたよりも 遥かに
スケールの大きなものだったのではないだろうか。
私には 想像もつかないような
多くの次元での関わりが、
実は 目の前でも 繰り広げられているのでは
なかろうか。
今まで、私は、当然のように
「事実は 1つ」 だと 思っていました。
どうも、そのへんから 疑う必要が ありそうです。
あー、めんどくさいことになってきた。
だけど、おもしろそうだぞ?
ありがとうございます。