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ちゅぅちゃんが、今朝も また

夢に出てきてくれました。

 

というか、今回は、

私が ちゅぅちゃんのカラダの中から

ちゅぅちゃんを 体験した…

そんな感じ?

 

目覚める直前の、浅い意識の中での

体験だったんですけど、

そこで ちゅぅちゃんは、私に

こんなことを 伝えてくれました。

 

 

・ 最後に、苦しんで 苦しんだのは、

そうすることで 勢いをつけないと、

なかなか ‘命’(魂?)が カラダから

飛び出すことができなかったから。

 

・ 苦しんで 苦しんだけど、

ワタシだって、そうしてでも、少しでも 長く

一緒にいたかったんだよ。

 

 

 

 

私は、最後の最後、

ちゅぅちゃんを 苦しめてしまったのは

自分のせいだと思っていました。

 

私が、ちゅぅちゃんに

執着してしまっていたから。

 

私が、ちゅぅちゃんを

こころよく 送り出してあげることが

できなかったから。

 

 

「どうせなら、残された日々を、

歌を歌って、楽しく、笑いながら 過ごしたい。」

 

そう言っていた ちゅぅちゃんの前で、

私は なにかに つけて

ぽろぽろと 涙をこぼしていました。

 

だけど、そうやって 泣いてしまうのも、

私が ちゅぅちゃんのことが

大好きだから。

 

そういうのも ぜんぶ、

ちゅぅちゃんは わかってくれていました。

 

 

それでも、私は、

自分のことが 許せなかった。

 

ちゅぅちゃんの望みは わかっていたのに、

自分の悲しみの方を 優先してしまった。

 

私が ぜんぶ 受け止めて、

ちゅぅちゃんの旅立ちを 穏やかに

見守ってあげていられたら、

あんなに 苦しまずに 済んだのかもしれない。

 

 

ちゅぅちゃんが いなくなってから

1年以上が 経ちますが、ずっと ずっと、

そんな後悔が 残っていました。

 

 

けれども、今朝、

ちゅぅちゃんのカラダの中から

それを 体験したことで、

なんとなく、わかったのです。

 

あのとき とても 苦しんだ(ように見えた)のは、

システム上の問題だったんだ。

 

「少しでも 長く 一緒にいたい」

という 気持ちから、

ちゅぅちゃんは、私に 付き合ってくれたんだ。

 

それは、ちゅぅちゃんの意思だったんだ。

 

 

夢なんて、自分の願望や怖れなどが

反映されるものでしょうからね。

 

こんなの、私が 

自分の苦しみから 逃げるために、

自分で つくりだしたもの

なのかもしれません。

 

でも、もし そうだとしても、

それも含めて まるごと、

ちゅぅちゃんは 許してくれているのでしょう。

 

 

 

 

今朝の夢の中の この体験を通して、

私の中で 理解というか、納得というか、

そんなようなものが起こり、

少し楽になったような、

そんな感じがしました。

 

これは、ちゅぅちゃんが 私に

送ってくれたものなんだろうな、と。

 

 

カラダを離れてからまでも

こんなに 手のかかる 飼い主で、

ちゅぅちゃん、

「あーあ。あのとき、別のニンゲンを

選べば よかった」

なんて、思っているかも。

 

猫界の意識ネットワークには、

《飼い主として選んではいけない 要注意人物》

として、

私の顔写真入りの回覧板が、

回っているかも。

 

 

それでも、いいもん。

 

夢でも、いい。

ちゅぅちゃんに会えるなら、

いつまでも ぐずぐずしていてやる…。

(↑なんか、違う。)

 

ちゅぅちゃんの アフターフォローの手厚さには、

感謝するばかりです。

 

 

※ 私は、基本、元気です。

毎日 泣いて暮らしているわけでは

ありませんので、ご心配なく。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

数週間前から、

「あらやだ、噂の五十肩の、はじまり はじまり?」

と、内心 怯えています(笑)

 

痛みは 全然ないし

肩も 普通に 上がるのですが、

背中に手を回したとき、

ちょっとした 違和感があるのです。

 

左手が すっと 回るのに対して、

右手は、なんとなく 引っかかりがある

感じ・・・?

 

 

そういえば、ちょうど9年くらい前には

四十肩疑惑がありました。

 

どっち側が、どんな感じだったんだっけ?

と 過去のブログを漁ってみると・・・

 

当時 痛くなったのは 右腕。

 

その後 瞑想中に 

男性性についての気づきを得たら

痛みが消えた、

と、書いてありました。

 

こういうとき、過去の記録が残っていると

便利ですね。

 

 

まあ、今回も、ソレ系のことかな、

と、軽く考えて。

 

このまま カタマる方向へ 行かないよう、

ことあるごとに 肩をぐるぐる回したり

腕を振り回したりして、

可動域が狭くならないように

心掛けています。

 

 

そんな中、先日のコンティニュアムの

ダイブの最中に、

ふと こんなことに 気づきました。

 

右腕が、ケアを 求めている・・・。

 

 

ああ、そっか。

そんなときには、精油の出番です。

 

というか、なんで いままで

思いつかなかったのだろう。

 

 

私は 帰宅してから

マジョラムの封を切りました。

 

でも、「ケアを求めている」ということは、

受容性の高い

ラベンダーやローマンカモミールの方が

良いのかな。

 

少し 迷ったけれど、まずは、

最初に思いついた マジョラムで

様子を見ることに。

 

 

 

 

マジョラムを使うのは、久しぶりでした。

 

右の上腕から肩、肩甲骨にかけて

塗りたくり、

懐かしい香りを 胸いっぱい 

吸い込みます。

 

なんか、この香りを嗅いだだけで、

良くなりそうな気がする!(笑)

 

 

・・・と 思ったせいか、試してみると、

本当に  右腕の動きが スムーズになった

ようにも、感じます。

 

お風呂上りに マジョラムを塗ること、2日。

もともとの症状が ‘違和感’程度だったため、

劇的な変化はありませんが、

塗ること自体が とても 気持ちいい。

 

右腕が 喜んでいます。

 

 

なんだ、注意を向けてほしかったのなら、

もっと 早く、言ってよ!

 

・・・もっと 早く、気づいてよ! ← 右腕の声。

 

 

そして、不思議なことに、

以前よりも、マジョラムの香りが 甘く

感じるんです。

 

いまも、手元に マジョラムを 置いて、

蓋を取っては くんくん、くんくん・・・。

 

マジョラムって、

こんなに良い香りだったっけ?

 

マジョラムの香り、いままで、

特に好きなわけでもなかったんですけどね、

きっと、いまの私には  これが ビンゴ!

だったのでしょう。

 

 

お風呂上りのマジョラム、

なんだか とっても 気持ちがいいので、

このまま しばらく 続けてみようと

思います。

 

五十肩、これにて 通過!

だったら、いいな・・・(笑)

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

涅槃像のシークエンスの次、

その日 2つめのシークエンスも、

初めて 教わったものでした。

 

ある声を出しながら 腰を動かす、

というものだったのですが、

初めてのシークエンスでもあるし、

この2つを 同時にやるのが、

ちぐはぐな感じがして、難しい。

 

あれこれ 試行錯誤していくうちに、

ヘンな言い方ではありますが

「腰を動かすこと」ありきで 腰を動かすことに

やりづらさを 感じているのだ、

ということに、気づきました。

 

 

ならば、と、

「声の振動が、身体に伝わり、広がっていく。

その振動が 腰にまで及んだ結果、腰が動く」

というふうに、

少し 意識を変えてみたら・・・

 

なんとなく 掴めてきた感じ?

 

 

 

 

 

そして、ダイブの時間。

 

その頃には、もう、

それこそ、いろいろな シークエンスと 気づきを

重ねてきていて、

ベースである 自分が、

最初に そのシークエンスを 教わったときの 自分とは

まったく 違っています。

右矢印 参考記事:比較の無意味さ

 

涅槃像のシークエンスを終え、

この2つめのシークエンスに入ったときには、

もはや、いまやっていることが

シークエンスなんだか、オープンアテンションなんだか

区別がつかないような感覚に 

陥っていました。

 

 

そこで、早々に オープンアテンションに

入ったのですが、

ここで また、実験を1つ。

 

ちょっとした 思いつきで、

‘縛り’をつけた オープンアテンション

に、してみたのです。

 

・そのシークエンスで使われる声を出す

・腰を動かす

 

この2つの条件をもとに やってみよう、

という、限定的オープンアテンション。

 

 

これがね、楽しかったんです。

 

さきほどは難しく感じていた 動きも、

オープンアテンションを前提とした中で

生まれる動きは、なめらか。

 

声を出していくことで なにかが 解放されて、

自由になっていく。

 

 

あれ?

縛り=条件を付けたことで、

表現が限定されたはずなのに。

 

振動や動きが加算された・・・

より ダイナミックで、逆に 開かれた 

オープンアテンション

になっているぞ?

 

 

これまでとは さらにまた 違う

オープンアテンションに 出合えて、

おもしろかったです。

 

大きな 気づきがあり、混乱もあり、

の、この日のクラス。

かなり濃厚な1時間半となったのでした。

 

 

ちなみに、

そのときは「難しい」と感じていた

このシークエンス。

 

さきほど やってみたら、

最初から 難なく、違和感もなく

腰を動かすことが できました。

 

同じシークエンスでも、

そのときによって 印象が 全然違うのも

コンティニュアムの楽しさですね。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

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涅槃像のシークエンス の 続きです。

 

この「涅槃像のシークエンス」(勝手に命名)

の後半は、

お線香の煙が 立ち上っていくかのように、

ゆっくり ゆっくり

片手を上げていきます。

 

ふだん 手を上に上げるときって、

なにも 考えずに ただ サッと 上げるだけ。

 

でも、ゆーーっくりと 上げていくことで、

わかるんです。

 

実は ものすごく 微妙な動きが

重なり合い、

絶妙なバランスを 取り合って、

手は 上がっていくものなんだ・・・

ということが。

 

人間の身体って、すごいんだな、と。

 

 

このとき 私が 思い出したのは、

ヴィパッサナ瞑想の後半の、

ただ ゆっくりと歩く パートでした。

 

そして それは

(結局 あの後、書かなかったんだけど)

棒立ち のときの 感覚とも、

共通するんです。

 

 

あの 棒立ちを 体験したとき、

「ああ、私、ヴィパッサナのウォーキング、

全然 わかっていなかったんだなぁ」

と、思ったんですけど、

今回も また、同じことを。

 

手が上がっていく、この感覚で、

ヴィパッサナのときにも 歩ければいいのに・・・。

 

歩き始めると、なんか、

違うものになってしまうのです。

 

 

 

 

 

ちなみに、この 涅槃像のシークエンス、

寝る前に やると、

気持ちよく  眠りに入れるんですよ。

 

なんかね、自分の身体の重みを

すごく心地よく 感じるんです。

 

私の知っている中では

わりと ステップが多めのシークエンス

なのですが、

それが、眠りへと 1歩ずつ 近づいていく

カウントダウンになるみたい。

 

 

土星のシークエンス に 続き、これもまた、

私のお気に入りのシークエンスと

なりそうです。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

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先週の コンティニュアム zoomクラスで

教わった、新しいシークエンス。

 

これまた勝手に命名、

「涅槃像のシークエンス」。

 

最初に このシークエンスをしたとき、

体勢から 涅槃像を連想し、

そのエネルギーと つながる、

というか、なんというか、

とても 気持ちよかったのです。

 

 

 

 

もともと、私、

コンティニュアムを 立ってやるのが

好きなんです。

 

ただ単純に、立つ、という姿勢が

いちばん 身体の自由が利いて、

より 制限のない オープンアテンションを

楽しめるから。

 

 

一方で、前回のクラスでは 先生から、

「大勢の人が集まるグループの中で

横になってシークエンスをすることに

抵抗を感じる人も、いる」

ということを、聞いたところで。

 

そのときは、ただ

「あー、そうなんだ」と 思っただけでした。

 

けれども、2週間後の この日、

涅槃像のシークエンスで

「気持ちいいな」と感じるのと同時に、

そのときのことを 思い出し・・・

 

「あ、実は 私も、‘寝る姿勢’というのが

無防備に感じていて、イヤだったんだ!」

ということに、気づいたのでした。

 

 

それほど強い拒否感ではなかったから、

自分でも 気づいていなかったのでしょうね。

 

我慢して やっている、

という感じでは、全然 なかったし。

 

だけど、そんな些細なことでも、

自分で気づく、把握している、ということが、

とても 大切だと 思うんです。

 

気づくと同時に、解放が始まる、

ということを、

長年の経験により、知っているので。

 

 

さて、この 涅槃像のシークエンス。

 

やってみて 感じたこと、気づいたことが

まだ あるのですが、

それは また 後日、気が向いたら

書くことにします。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

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