GWが終わって今日から出勤の皆さま、お疲れ様です。

 昨日からカラダが重かったり、憂鬱な人もたくさんいらしたと思います。できるならゆっくりとペースを取り戻してください。

 それでも今日も行く、行かなければならない職場があることに感謝です。

 なぜなら……。

 

 人は退屈を嫌い、耐えることができず、実は恐れています。

 勇気を持って行動した人、特に結果を残した人を私たちは評価し、称えます。良い記憶や優れた記録は人類を向上させ、前に進むパワーとなるからです。

 ボンヤリしている人、特に数字を残せない人が評価されることはありません。

 いわゆる「人は生きているだけで価値がある」は本音でなく、多くが建前と思って間違いではないでしょう。

 

 人が立ち向かうことができない強敵であるにもかかわらず、「ふんっ」と見下すだけで避けられ、負け犬のレッテルも貼られない。

 ここが「退屈」の厄介なところです。

 パスカルは『パンセ』の貴族のウサギ狩りの話で、最終通告とも言える止めの一文を突きつけます。

 

人は獲物が欲しいのではない。退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、ひいては、みじめな人間の運命から眼をそらしたいから、狩りに行くのである。

 

 「獲物」をお金に、「狩り」を仕事に変えるとわかりやすいかもしれません。

 思い出されるのは、NHKテレビの昭和を回顧する特番で司会の1人だったタモリさんの言葉です。高度成長時代のモーレツサラリーマンの働きぶりをVTRで見た後、タモリさんはいつもの淡々とした口調でコメントしました。

 「いや~、この時代のサラリーマンの方々と言うのは何かに直面するのを避けるために猛烈に働いていたんじゃないですかね」

 事前に用意された言葉だったのでしょうか。ここは「ああいった頑張りがあって、日本は世界第2位の……」のような前向きなコメントがふさわしかったように思えますし、抽象的な言い回しが全国の視聴者に伝わったかどうかもわかりません。当然、スタジオでコメントが広がっていくことはありませんでした。

 

 「会社、行きたくない」「仕事、辞めたい」と思いながら出社し続け、定年退職でようやく夢を叶えた高齢者。仕事が無い、ノルマも期日も無い日々にしばらくはのんびりできても1年と経たずに新しい趣味に走り、町内会活動やボランティアに精を出し、仕事や社会に戻っていくのが大半です。

 自由・天国と思っていた定年無職暮らしの先にあったのは退屈・地獄のみで、結局は元の木阿弥となるのです。

 冒頭に書いた「今日も行く職場が……」の答えも一緒です。人は仕事や会社の人間関係に文句を言い、嫌いながらも働くことで暇や退屈から逃れているのです。

 

 人は暇になり、退屈を深めるほどあれこれ考え、自分を見つめ始めます。

 見つめて発展的になれるなら問題はありません。たいていは今抱えている悩みから過去の失敗や後悔、将来への不安とマイナスなことを考えてしまいます。挙句の果てには、

 

 孤独。

 惨めで小さく弱い、何者にもなれなかった価値の無い自分。

 死。

 人生はつらく苦しいもの、という直視したくない真実に行き着くのです。

                         ――次回へ続く――

 

 ふんわり静かに・・・。