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 旅行・レジャー・スポーツ・友達に会う。予定したこと、やりたいことが多くて黄金週間もあっという間に終わってしまいます。しかし、予定もやりたいことも特になくて時間を持て余し、退屈を感じている人も少なくないはずです。そこにわずかな苦痛を伴いながら……。

 

 僕がそれなりに「退屈」を感じ始めたのは50歳を前にした頃だったように思います。

 自らに望んだ人しての在り方の追求がほぼ終わり、探っていた人生の回答が僕なりに得られ、ひと段落ついたのでしょう。

 はたまた頭の働きも肉体も鈍り始めて、時間の捉え方に変化があった……のかもしれません。

 

 「あ~あ、な~んもすることないな~」と今日感じても、明日になればきれいさっぱり消え去っているのが退屈時間です。

人の記憶や記録に残らず、時が空白化してしまう。この点でも退屈は人間の天敵です。

 退屈な時間を多く過ごした人ほど想い出や生きた証が少なく、虚しさが多い人生になりがちです。人はそれを知っているから自分の内から出て、外で誰かと会い、活動します。そこに不幸の種がゴロゴロ撒かれているのです。

 

 コロナ禍の緊急事態宣言発令中に僕は暇や退屈を超えた、ゆるやかな時空にさまよう幸福を味わえました。

 それはほんの一時とはいえ、「働かなければ食えない」呪縛から限りなく解放された日々でした。人には会わず、公園に出掛けては日差し、木々や草花、鳥を愛でることの素晴らしさ、ただ家にいられることの良さ改めて知ったのです。

 

 昨今は通算すると年に数カ月しか働いておらずに時間がたっぷりあること、市の道路計画でわが家と土地の買収が決まり、まとまったお金が入る予定が立ったこともあって幸福感と共に退屈も増している気がします。

 スケールはあまりに違っても、しばらくは遊んでいても暮らしていける貴族のような身分と気分が僕を暇・退屈=不幸の入り口に立たせているのかもしれません。

 ただしもっと外へ出て人に会いたい、食べ歩きがしたい、あちこちを旅したいなどと強く望む気持ちは……まだないので、今すぐ不幸になることはなさそうです。

 これから深まりゆく老いに、僕の退屈はどう変わっていくのでしょうか。

                          ――次回へ続く――

 

 ふんわり静かに・・・。