僕は昭和のテレビ大好きっ子でした。

 面白くて絶対に見逃せない『不適切にもほどがある!』番組が毎日放送されていた時代。幼稚園の頃に観た『ウルトラマン』を皮切りに、アニメ・ドラマ・バラエティと目も心もテレビに釘付けでした。

 小学1年生の時に『少年ジャンプ』の創刊、ゲームも次々に発売、4年生で仮面ライダーカードがブームとなり、天地真理さんや郷ひろみさん、フィンガー5などアイドルも続々登場して子ども世界も年々盛り上がっていきます。

 

 小学校に入ると、僕を外遊びに誘う男の子がいました。

 時折、わが家の庭に立っては「○○く~ん」と大声で僕を呼びます。何度も行きましたけど、外遊びは僕の性に合いませんでした。家に誰もいなければ隠れるようにして放置、母がいるときは言葉を遮って何度も無視しました。

 そんな僕の当時の外遊び? と言えば、最寄り駅のデパート内にあるゲームコーナーへ行ってプレイしたり、よその子が遊ぶのを見ることでした。

 当時は観るのもやるのも野球が国民の娯楽です。僕は広場で汗を流す子どもたちの輪には加われず、後に「サブカルチャー」と呼ばれる楽しみに没頭していました。居間のテレビを点けるだけで、マンガの表紙を開くだけで、押し入れから盤ゲームを出すだけでたちまち夢の世界へ入っていけたのです。

 

 やがてプロレスや映画をかなりマニアックに観るようになり、プロレスは後に仕事の一部になります。父が揃えた高級オーディオで音楽を聴き、ビデオデッキで番組を録画すれば何度でも観られるようになり、30代初めにはプロジェクターを購入して名作映画を自宅スクリーンの大画面で堪能しました。

 高校時代に始めた映画チラシのコレクションは今も趣味の1つとなっています。

 

 62歳になっても変わらず、家の大型テレビで映画、PCでYouTubeを観る毎日です。リーズナブルな料金で気軽に作品を楽しめるサブスクは、今の時代ならではのありがたい存在です。映画館に時折足を運んでも、基本はインドアで1人楽しめるものばかり。観て聴いて集めて、頭の中で作品を整理・思い出しては余韻を噛みしめています。

 

 僕は「オタク」として退屈から逃げてきました。

 大きい・明るい・早い・アクティブなコト・モノがもてはやされた高度成長からバブルへ向かう日本で、外へ出るよりも家の中で小さく地味に退屈を紛らわせた僕は、結果として大きな不幸に見舞われずに生きてこられました。

                           ――次回へ続く――

 

 ふんわり静かに・・・。