時の流れに身を任せて……。

 穏やかな毎日を送れています。

 退屈と紙一重の、僕がいちばん好きな時間の過ごし方です。

 

 そんな時間、日々の醍醐味を知ったのは僕が25歳の時でした。

 社会に出て3年働いたらニューヨークへ行こう! 

 日本がバブルのピークへと向かう1980年代半ば。僕は渡米を目標に生きていました。僕の頭の中もバブルだったのでしょう。人としてひとつ大きくなりたいとの願いもありました。

 

 出発前に3カ月の空白期間を取りました。

 職安に3回顔を出し、その後半年間の失業手当をもらうためです。怠け者の僕には少しでも働かずにいられる時間が欲しかった思いもありました。

 仕事もせず、勉強もしない。

 NY語学留学という免罪符が家族にもだれにも干渉されず、堂々とのんびりできる時間を僕にくれました。

 振り返れば生まれて25年目にして初めて、“~~しなければならない“から僕は解放されたのです。

 

 親や周りの言うことを守り、生きていかなければならない。

 学校へ行き、勉強しなければならない。

 会社へ行き、働かなければならない。

 夏休みには宿題をして、終わらせなければならない。

 有給を取るには事前に申請しなければならない……。

 

 そのどれもが必要無く、自分の好きなように、自分で決めたように時間を使い、生きられる。

 後に世間では「ニート」と呼ばれるようになった身分が、25歳の僕には最高に心地良かったのです。

 

 帰国後、再就職をして29歳でフリーランスになりました。

 やりがいと自己成長、家族が幸せに生きるために働かなければならなかった僕ですけど、基本的に自分で自分の時間を管理できる生き方は性に合っていました。

 仕事がなけれはニートと変わらない不安定な身分は、焦りや不安と共に25歳の時に得た幸福感を僕にもたらし、心身を軽くしてもいたのです。

 

 今、ここで生きる62歳の僕は20代、30代よりももっと軽くて穏やかです。

 25歳、それ以前から思考よりも感情、感情よりも直感で生きて“昔よりも幸せである今“を積み重ねてこられました。

 すべてに感謝です。

 

 ふんわり静かに・・・。