人にいつか必ず訪れる「4つの死」。

(記事はコチラ 4つに分類される、人の旅立ち

今回はそれぞれについて、僕のお母さんを例に考えてみました。

旅立って家にはいない母に直接聞き、答えてもらうわけにはいかないので(苦笑)、僕の独断で書くことはお許しください。

 

結果的に最後となった2度目の入院を終えた母は、娘と自宅で過ごしました。

60年近く暮らした土地と家に戻った母、隣の家に住む僕ら夫婦を合わせた生活に環境の変化は何ひとつありませんでした。

母はできる範囲で家事や自分の身の回りのことを行い、家族と会話や食事を楽しみ、車椅子に乗っては買い物や街で遊び、テレビや映画を観て、ステレオから流れる音楽を聴いては心を潤しました。

母にとって「文化的な死」は、カラダがほぼ動かなくなった旅立ち前2日間のみ、と言って間違いではないと思います。

 

退院後は訪問看護師さんにお世話になりました。

身辺のことは本人と家族でほぼできていたので、初めは週1回来てもらって検診と入浴介助、マッサージをしてもらいました。看護師さんは良い人ですべてにありがたく、母も初対面から仲良くおしゃべりしながら入浴、と言っても体力的にシャワーのみ、を楽しんでいました。

ここでの入院と在宅との大きな違いは、患者として寝ているベッドに来てもらう入院と、患者ながらも“家主“として自宅に看護師さんを迎える心構えの部分にあると思います。かしこまるのではなく、友達に家に上がってもらうようなリラックスした感覚と言えばいいのでしょうか。訪問医とも気持ちのうえで人として対等でいられることは大きく、姪やその子、親戚との触れ合いも含めて、母は「社会的な死」からも遠いところにいたと思います。

残りの2つはまた次回に。

 

横浜は気持ちのいい晴れの日が続いています。

今はもう♪ ではなく、今年はやっと秋が来ています。

 

ふんわり静かに・・・。