東京都内から自宅のある大分県日出町まで、1100キロにわたる歩き帰宅を続けていた尾畠春夫さんが静岡県内で先へ進むのを断念しました。

 

「世界のこどもたちの幸福をねがう旅」の小旗を掲げ、昼はリヤカーを引き歩き、夜は橋下や河川敷でテントを広げて寝泊まりしていた尾畠さん。そこに1つの誤算? 読み切れなかった展開がありました。尾畠さんが行く道すがら、あるいは休憩中に近隣住民がやって来てはおしゃべりや握手、サインや写真撮影を次々に求めたのです。

それは微笑ましく、良い光景でした。尾畠さんに生きる力をもらった人もたくさんいたでしょう。尾畠さんも笑顔で、老若男女とのふれあいを楽しんでいるようでした。それでも1人ひとりに時間を取って丁寧に対応するあまり、1歩も先を進められない日さえありました。

 

尾畠さんが歩き旅を断念したのは、24日の午後でした。

日曜日ということもあって、いつもより多くの人が集まったのでしょう。尾畠さんのいる道路近辺に交通渋滞が発生。道に溢れた人と車がすれ違う様子にすぐさま危険を察知した尾畠さんは、旅の中止を決断します。

「いつ事故が起きてもおかしくないなと思って、今回はここで一応旅を打ち切って身を引いた方がいいなと思って。だから誰にも知らせずにスッと身を引いたんです」

 

 尾畠さんは娘さん夫婦の車で、その日のうちに大分の自宅に戻りました。

強靭な心身を持つとは言え、御年79歳と考えたとき、やはり無事帰宅の報に僕はホッとしました。翌日から早速、次のボランティアへ向けて整理や荷造りをしているようです。

 「体力的な疲れはないけどね。精神的な疲れはなかなか抜けないね」

 

 この尾畠さんのひと言に、私たちは深い想いを寄せてみる必要があるようです。

 いつの日か同じ歩き旅を尾畠さんが再開したとき、マスコミも含めた私たちはどう接するのが正しいのでしょう?

 正解はなかなか見つかりませんし、ないように思いますけれども僕は、

「愛ある無関心」

 を挙げておきたいと思います。

 

「皆さんからたくさん支援物資やお声をいっぱいいただいて、身に余ることをいっぱいしてもらって、感謝の気持ちでいっぱいですけど。人の命にはかえられんから、人の道、仁義として(人命を)守るべきやなって。皆さんからもらった…励ましの言葉をもらったのに…途中でもうやめて逃げ帰ったみたいな状態だったけど。途中でやめてしまって本当に申し訳ないなって気持ちでいっぱいだけどね。私は受けた恩は絶対忘れないから必ずなんかの形で、恩返しはさせてもらいたいなと思ってます」

いつ聞いても心に染みる、尾畠さんの言葉でした。

 

 ふんわり静かに・・・。