第2話



 あれから時々当麻の姿を見かけるようになった。僕の窓口に当たることはなかったけれど、それが偶然なのかどうかは分からない。

 僕を見ても驚かなかったのだから、偶然ここに来たわけではないのだろう。たぶん何もかも知っていて、やってきた。僕がここにいることも、そして今の僕の姿についても。



「・・・ね、あの人さぁ、知り合い?」

「え?」

 食堂で昼食中に、花ちゃんに突然尋ねられて面喰った。

「この間住所変更に来た男の人いたでしょ。あたしが案内係だった日。番号札何枚も引いて、わざと毛利さんのマドに当たるようにしてたの見ちゃった」

「・・・そうなんだ」

 やっぱり、というつぶやきは飲み込んだ。

「なのにね、その次から、逆に毛利さんとこに当たらないようにこっそり引き直してるんだって」

 実はかなり年下なのに普通に友達と話してる口調だけど、花ちゃんのそれは嫌な感じがしない。仕事中はきっちり上下関係を弁えてるし、オフ時間は先輩後輩とか気にしない方が僕も楽だ。

「今度来たら案内係を困らせないように言っとくから。・・・中学のころの知り合いなんだ」

 それ以上の詮索を避けるために、にっこり笑ってそう付け足した。




                             (つづく)





 第1話




「お待たせしました、いらっしゃいませ---」

 お決まりの挨拶を口にしかけて、その人に気づいた。

 時間が止まった、と思った。すべての音が途絶え、凍り付いた世界の中で。

「・・・久しぶりだな、伸」

 あの頃と変わらない声だった。何年ぶりだろう。心の中で指を折りながら、呪縛が解けていくのを待った。

「・・・本日はどのようなご用件でしょうか?」

 やっと、営業用スマイルではない微笑みでそう言えた。

「住所変更を」

 彼は短く答えて、通帳と免許証をカルトンに載せる。あの頃よりは幾分素っ気なさが和らいだだろうか。

「・・・かしこまりました。お掛けになってお待ちください」

 ロビーのソファに向かう彼の背中から目を逸らし、椅子に腰掛けた。

 目を閉じて深呼吸する。

 大丈夫、平常心でいられる。多分、いや、きっと。





 今から20年くらい前、僕たちは悪夢のような戦いの中にいた。

 彼はその時一緒に戦った仲間の内の一人で、音信不通になってもう15年くらいになるだろうか。

 戦いが終わって、突然仲間の前から姿を消したのは僕の方で、もう二度と会わないつもりだった。そう、特に彼・・・当麻には。






                             (つづく)






「ねえ、止まってよ! 止まってったら!」

 朝から降り続いている雪にすっかり覆われた郊外の一本道を、慎重に車を走らせていた僕は、慌てて、でもさすがに急ブレーキは踏まずに、いくらか斜めにスリップしながらもどうにか道端に車を止めた。

 否。止めざるをえなかった、という方が正しい。

「・・・危ないじゃないか!」

 ようやく声が出たのは、走っている僕の車の前につい先ほどいきなり飛び出してきた彼女が無事だと確かめた後だった。

 後続車がなかったことが不幸中の幸いだった、と背中に冷や汗を感じながら口の中でつぶやいた。

 現在その彼女は僕の車のボンネットに両手をついてにっこり笑いかけている。

「だってさっきから誰も止まってくれないんだもの。最後の手段よ。どう? 止まる気になったでしょ?」

 くすり、と笑って僕の目を見つめてくる。

「轢かれたらどうするんだよ!」

 むっとした勢いでそう怒鳴ってしまってから僕は気づいた。こんな郊外の細い一本道で、車なんて車種を問わず一時間に一台も通ればいい方なのに、彼女は一体いつから誰かが通りかかるのを待っていたんだろうか。

「・・・こんなところで何をしてるの?」

「帰ろうと思ったらあたしのキャディラックがないんだもの。ね、大通公園まで送ってちょうだい」

 とっさに彼女の頭のてっぺんからつま先までをもう一度眺めなおした。

 悪い夢でも見ているんだろうか?

 彼女の服装は、真っ赤なセーターと雪のように白い襟のついた真っ赤なパーカーで、真っ赤なミニのタイトスカートから白いタイツをはいた足がすらりと伸びて、真っ赤な革のショーツブーツで雪の中に平気で立っている。

 どう見てもマイナス5度の屋外には薄すぎるいでたちなのに、寒がるそぶりひとつ見せない。

 それに引き換え僕はセーターとマフラーの上にエアテックの分厚いコートを着て、それでもまだ寒さに震えている。このまま眠ってしまったら明日の朝には確実に氷漬けの凍死体だ。寒さのあまり幻影でも見ているんだろうか。

 いや、一面の雪に感覚が麻痺して幻を見ているのだと本気で思った。

 そもそもこんな大雪の中オープンカーで田舎道を走ろうなんて、そんな自殺行為を誰が好きこのんでするだろう。

 黙り込んでしまった僕に、じれったそうに彼女は地団駄を踏んだ。

「ねえ、早くしないと日が暮れてしまうわ。あなただってこんなところで凍えたくないでしょ?」

 幻想でなければ、気が触れてるのか。

「あたし急いでるの。子どもたちが待ってるから、もう行かなくちゃ」

       I D

「・・・身分証明書を見せてくれたら考えてもいいよ」

 窓も開けないまま疑り深く僕がそう答えると、彼女は途端に悲しそうに眉を寄せた。

「あたしのこと、信じられない?」

 ボンネットの向こうから、困ったように笑いかけるその瞳。

      デジャヴュ

 突然の既視感。

 どこかで会ったことがある。最近じゃなくて、ずっと昔。

 そう・・・僕がまだ子どもだった頃に。

「---ごめん、僕が悪かった。乗って」

 謝りながら急いで助手席のドアを中から開けた。たぶん僕は彼女のことを思い出しかけている。

「ありがとう」

 彼女は助手席に座ってにっこり笑った。

 

 辺りが薄暗くなり始める頃には、僕たちは街の入り口に着いていた。

「ありがとう、ここでいいわ」

 大通公園に近くなった辺りで彼女は言った。

「公園はもう閉まってるよ?」

 半分くらい確信しながら、そう聞き返してみた。道中彼女が軽くハミングしていたのは、いつかどこかで聞いたことのあるメロディ。

 誰もいないはずの公園の中にスノーモービルのような乗り物が何台も停まっているのが僕の位置からでも見えた。

「そうよ。ちょっと待っててね」

 車から降りた彼女がそこへ駆けていくのを僕はじっと見ていた。

「ごめんなさい、おじさん。あたしのキャディラック来てるかしら?」

「ノエル、またあんたかい! 駐車禁止区域を何回言ったら覚えるんだね?」

 レッカー移動させられた車の保管所みたいなやりとりがかすかに聞こえてくる。交通係らしいそのおじさんも真っ赤な服を着ているのが見えた。

 じきに、彼女は自分の車から何かを取り出すと僕の車に戻ってきた。

「お仕事に間に合いそうだわ。あなたのおかげね」

 彼女が差し出した包みを、運転席の窓を開けて受け取った。かすかな匂いからしてたぶんクリスマスプディングだろう。

「ありがとう」

 僕がそう言ったその時公園の時計塔の鐘が鳴り始めた。僕たちは揃ってその音(ね)に耳を傾けた。

 12月24日、クリスマスイブの夜が始まる。

「・・・みんなサンタクロースって名前なのかと思ってたよ」

 僕がそう言うと、彼女はいたずらっぽく笑った。

「ファミリーネームはね。あたしのファーストネームはノエルよ」

「ノエル。僕は---」

「あなたの名前なら知ってるわ。だってあなたへのプレゼントはずっとあたしが配ってたんですもの」

 くすっと笑ったその瞳を僕は遠い過去に何度も見たことがある。そう、毎年のように。

「・・・ノエル、時間だよ!」

 誰かが彼女を呼んだ。

「じゃあね。あなたにクリスマスの恵みがありますように」

「ありがとう。君にも恵みがありますように」

 僕は車から降りて、サンタクロースたちが次々に空へ飛び立って行くのを寒さも忘れて見上げていた。最後の一台、真っ赤な橇(そり)を運転しているのはやっぱりノエルだった。

 僕に手を振って、ノエルの橇は夜空の彼方に遠ざかっていった。僕が子どもの頃に住んでいた、海の向こうのあの街を目指して。


 そして、彼女がくれたクリスマスプディングに入っていた銀のリングはペンダントとして今も僕の胸にかかっている。いつか、僕に息子ができたら、サンタクロースは本当にいるんだと教えてやろう。






   ~ May your days be merry and bright. ~