おはようございます。


昨日、野洲市民病院整備運営評価委員会が行われ、一夜明けました。


委員の方々はそれぞれの立場で多様な意見を述べていました。





この委員会は何かを決めるものではないという委員長の発言はごもっともで、市のまちづくりのビジョンに従って立地も決めるのがよいのではというのもごもっともです。


まさにそれらを決めて、それに対して意見をもらうのが本来のありかたです。


しかしながら、現在は明確なビジョンがないまま駅前には建てないの一点張り。選挙で言ったからというのが錦の御旗と言っていますが、現地建て替えができなくなったので、旗は無くなり棒だけふってる状況に見えます。



委員会では大半は駅前の整備にスピード感やアクセス、今後の経営において優位性があるというものでした。

そのなかで、昔から駅前に反対されている委員さん持論をふるってマウンティングしようとされてるのが顕著に感じました。

しかも本日の朝刊では、委員会の後、駅前はしないというのを市長が述べたと新聞各紙で報道されていました。庁内で議論の余地もなく即答されたこと、とても残念です。
評価委員会はいったいなんのためにしたのか。
コロナ禍で忙しいなか時間をつかい真剣に議論してくださった委員のみなさんの徒労感を察するといたたまれなくなります。

たしかに選挙で投票した人のなかで、駅前は絶対ダメだと言っている人は何割かはいるでしょう。
しかし、それは全体の何割でしょうか。
市長は政治家である前に地方公共団体の長であり、全体の奉仕者でないといけません。

そのために、民主主義国家では、庁内で議論し、専門家の意見を聞き、市場調査を行い、市民の話を聞き、議会に図るという積み上げにより道を作っていきます。

だからこそ、色々意見があるなかで物事が進んでいきます。

積み上げず、根拠なき結論ありきで誰のためにやってるのかわからない、このような状況ではとても前に進むことができません。



ChangeYasu!

これは栢木市長の初めての市長選挙のときに僕がボランティアでつくったキャッチコピーですが、まさに候補者(政治家)意識から市長意識へのChangeを求めたいのが今の僕の心境です。