日本人バンドは 憂歌団最強シカゴで に いきたかったんだか ブルース隙の
友人の いかにukAが
しぶかったか 土産話で がまん
70年代日本のロックも注目
されてるよね!
はっぴい えんどは 自分の当時勤務していた
バンド! 洋楽に いれこんでいた 自分は
日本の 日本語で うたうばんとも きもちよいてまかんじるのは きくようにした
生でね
ナイアガラサウンドは
まじ しーでーだったけと
フォークソングとかも そのころ ね
あんまぴんとこなかったが
70年 紫
村八分とか はだかの らりーずとか
生に いったのは クリエイション 村八分
じゃがたら スターリン 浅草ロックフェスを
いった あんまり 邦楽は 生はなぜが あんまりいかなかった
そのなかで 1970代 憂歌団は 特別な 存在であった!
音楽業界のひとが 私的に ファンがいっぱい いた 商業路線とは ちょっと はなれたかんじであったが
途中 おしゃれ路線にもなるが
すべてひっくるめて
もう 唯一無二!
初期の 雰囲気は デルタブルースを 日本語でかんじさせてくれる すごい バンドでは あったが それぞれが それぞれに 道を あゆんでいった
!
憂歌団を 生を体感して いろんな ミューじっしゃんが RESPECTし バンドをめざしたひとが また あらたな dnaで
ロックに ブルースに えんかに ジャズに
もはや ジャンルは 超越だろう
ロックンロールとか
たってるからでもないしなぁ
グッズとか ほとんど かわなかった
記憶でも ライブ記念に プログラムはあつめていた!しかし 昔おもすぎた
途中からは 記憶に こころにとどめろ
って いいきかし もはや 買わず
ロックライブシリーズ!
同じ空間にいた ロック 同志元気で ロックしまくっているだろうか
一番
大切にしていた 憂歌団の
プログラムが どこか旅にいってしまっていた
涙
ロック ってなに ブルースってなに?
今さらだけど
楽しきゃいいってのも なんか ちがうけど
やっぱり 客も それなりに ロック魂をブルース魂 音楽に RESPECTして
楽しみたい
残っているのを
ひろげてみた
ドーム 武道館
ライブハウスになるんだよね。
やっぱり ライブが 原点だ!
で 木村ボスの ゲッツ!してしまいました
花岡さんも すきだった イーグルス
やっぱり オンザボーダー
悪魔のささやき 今もぞくぞくだ!
シンガーの声
ボブは かすれているんだけど
めちゃくちゃ やさしい声!
ロッドも まじ いいよね ~なんか ぬくい
しゃがれボイスが すき !ドンヘンリー ~
ハスキーというより しゃがれ
スティービーニックスは おじいちゃんみたいなボイス
ペギーLeeは も !
フレディは あの 歯のすきまから もれる独特の オクターブの 声が すきだった
ロジャーは どすきいていたケニー花岡社長の 声は ハスキーではないんだけど めちゃくちゃすきである
MCは ちょっと 高めで とおるvoice!
話す声は 慈愛にみちた低音
大好きであった 優しい 深い
ベースのように ここちよい
マイボニー!まじ ききたい
最高にすきだった!
すばらしい 楽曲もいっぱいまたぼちぼち
ベースマンとしても RESPECTだが うたが
なんか ほっとするのだ!
リラックスボイス 木村さんとの
コーラスは まじ 最高だった
また ゆっくり ぼちぼちと
憂歌団
ライブを体感しにいったら、 ビルワイマンがおしのびで
いました
まじ感激花岡さんのベースラインを くいいるように 木村さんのうたをしまやんのリズムを 感じてましたぁ
やっぱ すごかった~
ストーンズの
ビルワイマンも
感動!
しかし日本初来日で
✈️嫌いで 脱退してしまった!好きだったベーシストだったから ショック!
最初で最後で あった
クラプトン ジェフベッグ
エアロスミス キッス
くぃーん レーナードスキナード
サンタナ
スコーピオンズ
チープ・トリック フリートウッドマック
ジャパン パブリックイメージ
ピンクフロイド
ブルーススプリングスてぃーん
そして 真ん中に木村充揮
ロックンロール!ロックってたっておどりまくったらスタンディングだから ロック?すわっていてもたっていても 車イスでもさ 気持ちじゃん!熱いrock!