女子プロレスラーの木村花選手が天国に旅立ちました。まだ22歳でした。

花ちゃんのお母さんの木村響子さんも元プロレスラーで、10年以上前入場曲に僕らの月下のラスタカラー を使ってくださっていた縁もあり、試合の時リングでライブをさせていただいたり、試合にも何度か足を運んで応援させてもらったりしました。

そんな時決まって誰よりも小さな体を乗り出し、誰よりも大きな声で

『木村負けるな!木村負けるな!』と叫んでる少女が試合会場の客席にいました。

まだ10歳にもならない花ちゃんでした。

その真剣な眼差しに、一生懸命な声に

『あぁ、ママのことが大好きなんだな。強いママは花ちゃんの憧れなんだなぁ』

と、響子選手の試合もさることながら花ちゃんのそんな真っ直ぐな姿にも感動していた事を覚えています。

その後も木村響子さんともお話しする機会が何度かあり、そんな時に響子さんから聞く花ちゃんの話が僕は大好きでした。

親子のような、兄弟のような、先輩後輩のような、友達のような

真正面からぶつかる事しか出来ない不器用な親子の話が、愛おしくて、僕は大好きでした。

今から数年前。僕が大阪ツアーから飛行機で帰り、空港を歩いていると一人の女性が『西郷さーん!!』と駆け寄ってきました。

マスクを付けたその女性に一瞬僕が誰か分からず戸惑っていると彼女はマスクをすっとおろし

『花です!』と。

子どものころと全然変わってないその可愛らしい笑顔に僕は

『わぁ!花ちゃん!大きくなったなぁ!!』

とそれはまるで親戚のおじさんと姪っ子のようなやりとりで、思わず2人で笑ってしまいました。

プロレスラーになった花ちゃんはメキシコ遠征に行った帰りで、たまたま同じ日、同じ時間、同じ空港でバッタリ。

電車の中でもプロになってからの話しや僕のライブの話し。30分ちょっとの短い時間ですが、一生懸命に頑張っている彼女の姿や、話が、なんだか泣けてくるほど嬉しくて。

なんだか名残惜しいまま、乗り換えが別々のホームで。その時に二人で写真を撮って

『また花ちゃんの試合か、FUNKISTのライブで会おうね!!』

と約束して別れたのが、花ちゃんと会った最後の時となりました。

その後の彼女のプロレス界での大活躍、メディアや雑誌に出て、『女子プロレス』の世界を広めていこうと一生懸命頑張る姿をSNSやテレビや雑誌で見るたび『俺も頑張ろう!!』と沢山の勇気をもらってきました。


そんな彼女が、旅立ってしまいました。

原因など詳しくはわかりませんが、彼女の残したSNSの言葉や、報道を見て、彼女がSNSに書かれていた心無い言葉に傷ついていた事を知りました。


一言教えてくれれば、なんにも出来ないけど全力で抱きしめに行ったのに

一言教えてくれれば、なにもかわらないかもしれないけど何時間だって話を聞いたのに


そんな後悔が押し寄せて、戻せない時計の針が悔しくて、ただ涙を流すだけの日々です。

きっと彼女の事です。

『弱音を吐かない強いプロレスラー木村花』でいたいと心から願っていたのでしょう。

そして優しい彼女は、自分が弱音を吐く事で、周りの人を心配させてしまうことに気を使っていたのかもしれません。

人間は誰しもが弱いし、全てを一人で背負っては生きていけない生き物です。

でも真っ直ぐな彼女は、そんな『人の弱さ』とさえも正面から全力で戦ってしまったのだと思います。


プロレスラー木村花と生身の花ちゃんに違いがあってもいいし、多少ギャップがあってもいい。でも彼女はそんな『落とし所』という『妥協』が許せないくらいの真っ直ぐな人だったのかもしれません。


花ちゃんは笑顔が素敵で、真っ直ぐな、とても優しい子でした。

テレビがどうとか、SNSがどうとか、そんなのどうでもいいです。真実は一つで彼女は優しい子で、僕は彼女の笑顔が大好きでした。

また会いたかったよ花ちゃん。
あなたは俺や響子ちゃんよりもっともっと長く生きて、絶望の裏側にある、この世界の美しい景色もちゃんといっぱい見ないといけなかったんだよ。寂しくて、悲しくて、すごく嫌です。


いつか僕も旅立って彼女とまた空で会えた時には、全力で彼女を抱きしめた後、大お説教大会を開催しようと思ってます。待っててね!



そして、SNSで彼女を追い込んだ心無い言葉に対して、僕は怒っています。一生許しません。ただ僕が許そうが許すまいがそんな事どうでもよくて、言葉は必ずブーメランとなって帰ってきます。人生の半分以上をペンを握り言葉を探し綴った僕の人生の実感です。そいつらが罪悪感を持とうと持つまいと、その放った言葉はそいつの人生の小さな綻びとなり、その綻びは時間と共に大きな破綻へと続き長い時間をかけてやがてそいつを必ず転落させます。必ずです。ここに逃げ場はありません。一生背負って生きるのみです。


10代で書き込んだヤツは自分が花ちゃんと同じ年齢になった時、自分が奪った物の意味を知るでしょう。自分がいつか親になり、自分の我が子が22歳になった時、自分の奪った物の意味を再び知るでしょう。自分が年老い、いつか孫が生まれその年を迎えてもなお、逃げ切る事は出来ません。その足枷の重さは日増しに重くなるばかりです。

言葉を放つとは

そういう事です。

だからせめてこれからの人生、誰かの力になる言葉を使いなさい。
『力になる』という意味がどういう事なのか、一生かけて考えなさい。

逃げ場はありません。
少なくとも僕はあなたを生涯許しません。



さて

ここからは僕自身の話しです。

みんなにも是非考えて欲しい所です。

今まで僕は20年バンドをやってきました。
その中で非難を受ける事もありました。
もちろん自分の力が足らず、ごもっともなご指摘も沢山いただきました。しかしそれと同時に的外れな僕の人格を貶めるだけの言葉もありました。中には僕の愛する家族を標的にした罵詈雑言もありました。

しかし

『そんなものは気にするな。反応したら相手が喜んでより過熱するだけだ』

と大抵のことに関しては沈黙を貫いてきました。

そして僕の周りには、

今ある社会をより良くしたい!と本気で思い戦う仲間や先輩や後輩が沢山います。

その人たちが時に「炎上」と呼ばれるオブラートに包んだ言葉で、その実、心をズタズタに切り裂かれる言葉の集中砲火を浴びるのを何度も目にしてきました。

僕はその度腹が立ち、叫び出したい気持ちを持ちながら

『自分が声を上げて、この問題をより大事にしてしまうくらいなら、今は沈黙を貫いて沈静化を早めよう。』

と無言を貫いてきました。



心無い言葉が飛び交う

沈黙を貫く


心無い言葉が飛び交う

沈黙を貫く


僕ら大人がそうやって繰り返し沈黙し、黙認してきた結果が、今のこの社会なんじゃないだろうか?

SNSという物がこんな狂ったゴミダメのようなものになったのは、僕ら大人がなにもしなかった事の積み重ねなんじゃないでしょうか?


とすれば、年端もいかない女の子が今回その被害にあわなきゃいけなかったのは

僕ら、いや、もっと明確に言えば


僕がこの数年なにもしなかった結果の積み重ねが、彼女を苦しめ追い込んでしまった。

僕は今、そう思ってます。

子どもの頃近所で悪い事をしたら必ず叱ってくれるおじちゃんがいました。

怒られながら、僕らはやっていい事と、やっちゃいけない事を、学んできたはずです。


間違ってる事をしたら全力で叱る


もう一度そこに立ち返らないといけないとおもうんです。

本当に届くかなんてわかりません。
でもせめて

自分の娘とFUNKISTの音楽を愛してくれる子どもたちにだけでも届いて欲しい。

人を傷つける言葉は使っちゃダメなんだ。ってちゃんと伝えたい。

だから僕はこれからは誹謗中傷に関して明確に『NO』をちゃんと突きつける生き方を選びます。


これは僕の人生の大きな大きな大きな反省です。
取り返しのつかないミスを犯したと、一生胸に刻んで生きて行きます。

同じ事はもう繰り返さない。

FUNKISTを好きでいてくれる大人のみんなも、今一度考えてみてください。僕からのお願いです。


そんな中で早速きゃりーぱみゅぱみゅさんはじめ声を上げた有名人の方々が今なお誹謗中傷の的になってます。


ザックリ読ませてもらいましたが大抵がお門違いです。

特に多いのが

今回きゃりーぱみゅぱみゅさんが

『誹謗中傷を気にするななんて難しいよ。芸能人だって1人の人間だよ忘れないで』

と書き込んだツイートにたいして

『お前だって安倍首相を誹謗中傷しただろう!安倍首相だって1人の人間なんだよ!』

という類のコメントです。

ハッキリ言います。的外れです。

僕はプロミュージシャンです。

僕が作った作品、僕が行ったライブに関して、どんな感想を述べてもらっても結構です。

『FUNKISTの曲聴いた。マジクソ』
『FUNKISTのライブ行った。見なきゃよかった』

全然OKです。僕らは作った物に賛否がつく事を生業としてますから。
そこに様々な意見が生まれるのは当然です。

僕だって映画を見にいけば『面白かった』『つまらなかった』と感想を持つ一人です。


でも僕に対して

『お前の作品はクソだ!早く死ね!』


『お前みたいな人間を育てたお前の親もクズだ』

というような言葉は僕の作品やライブへの評価とは関係ない言葉です。僕のパーソナル、人格を否定する言葉です。これは絶対に許されません。
「表現の自由」とは人が人として生きる権利「人権」が守られた上で初めて成立します。

それを奪う行為、貶める行為、傷つける行為は許されてはいけません。

もちろん安倍首相が相手であってもそれは同じです。

しかし安倍首相は政治のプロです。プロである以上自分が推し進めた政策や方針に対して「賛否」が起こるのは当然です。ましてや僕らの生活に直結する政治の話しともなれば、そこに関心を持って市民が声をあげるのは至極当然なことです。

その安倍首相の政策や方針に

『私はこの法案を通すのは反対』

と声を上げたきゃりーぱみゅぱみゅさんに対して

『お前も安倍首相を誹謗中傷しただろう!!』とバッシングするのは全くのお門違いです。

そしてそうやって、圧力によって声を抑え込む事を「言論封殺」と言います。

きゃりーぱみゅぱみゅさんが安倍さんのパーソナルを著しく傷つけましたか?人格否定をしましたか?

彼女はこの国に生まれた一人の人間として、自分の意見を述べたに過ぎません。それは全員に認められてる当然の権利です。


ネットの世界での言葉の境界線は確かに曖昧であやふやです。

でもだからこそ、僕たち大人が今こそしっかり正しいルールを作って

SNSを継続するなら子供から大人まで楽しく繋がれる場所にしていきたい。

それを深く深く心に誓った今日でした。



ここ数日、ずっと悔しくて、ずっと悲しくて、どうしても言葉にできなかった事があります。

全然まだまだ過去になんかなりません。きっとこれからもずっとずっと胸の中にいます。変わらないです

でもちゃんと言わないと後悔してしまいそうだから


また涙がとまらなくなるけど


ちゃんと言わせてください



花ちゃんのご冥福を心よりお祈りしてます

大好きだよ

生まれてきてくれてありがとう



FUNKIST染谷西郷