子どもの頃の夢はサッカー選手でした

子どもの頃の僕はサッカープレイヤーとしては誰の目から見ても異彩や圧倒的な輝くを放つ、こともなく、万年一回戦負けの弱小サッカー部の控え選手という、フットボーラーとしては絶望的な状況に置かれた青い春でした。



カズこと三浦知良選手に憧れて『FWをやらせてくれ!!』と直談判した結果『両足蹴れるから』という理由で左サイドバックになりました。

人生って過酷だな。と運動量の多いウィングの選手を追いかけながら何度となくとっくに心折れ太郎でした。

そんな中でサッカーの夢はいつしか音楽に変わり

2010年南アフリカワールドカップで歌う!



という途方も無い夢を叶えた時

サッカー選手にはなれなかったけど

ワールドカップには出れた!!

というのをあの日のサッカー小僧だった自分に教えてやりたい!!と思ったものでした。

そんなFUNKISTがワールドカップで演奏するさらに数年前

音楽を志してからずっと夢に思っていた

『野外フェスに出たい!!』

という夢が突然かなってしまいました。

2009年長崎のSky Jamboreeに出演が決まったのです。



あれは2008年の事。ヨシロウと僕の二人で小さな20人も入れば満員の長崎のカフェでアコースティックライヴした時の事でした。

慣れない二人編成のライブに緊張していると、顎鬚を蓄えた雰囲気のある男性が会場に入ってくるのが見えました。

普段FUNKISTのライブとは違ったアコースティックな編成に僕らは戸惑いながらも一生懸命ライブをしました。長崎は毎年8月に来ていた場所で、沢山の大切な事を教えてくれた町だったので、思いだけはとても強くて。そんなライブだった事を覚えています。

ライブが終わると先ほど入ってきた男性を紹介してもらう機会がありました


『こちらの方、Sky Jamboreeの総合プロデューサーの有森さんだよ』


えっ?

Sky Jamboreeの、プロデューサー...?


僕らの頭は真っ白になりました


すると有森さんは顎鬚を撫でながら僕らの元にやってきて一言

『夏にまた会おう』

と告げると振り返り、帰っていったのでした


夏にまた会おう?


どういう意味だろう?


と思っていた僕らの元に一本の連絡が届きました




FUNKIST、Sky Jamboreeに出演決定...

信じられませんでした。

2009年といえばFUNKISTはデビューして間もない誰も知らない全く無名のバンドでした。

そんなバンドが錚々たる先輩たちと同じステージに...


恐る恐る開いたSNSには


『FUNKIST誰だよ!』

『知らないし』

『休憩時間確定』


という言葉が並びました。


そりゃそうです。

悔しさなんかよりも、申し訳なさのが強かったな。

本当に俺たちなんかが出ていいのかなぁ

そんな想いが日に日に強くなったある日

僕は有森さんに想いをぶつけた事がありました


『有森さん、本当に僕たちがSky Jamboree出ていいんですかねぇ?』

と。すると有森さんは僕を車に乗せドライブに連れて行ってくれました。

車のカーステレオにはその年Sky Jamboreeに出演するバンドの曲が流れていて

有森さんは

『このバンドもいいだろう?』

『このバンドはライブが最高なんだ!!』

と一曲一曲教えてくれて

そして有森さんが『着いたぞ』と連れてきてくれた場所は稲佐山のSky Jamboreeの会場でした。


そして会場の入り口からステージを見下ろしながら有森さんが言ってくれました


『お前たちの音楽なぁ、俺の嫁も娘も聞いてるぞ。FUNKISTの音楽はなぁ、毎日の生活にちゃんと寄り添ってくれるんだよな。』

と言ってくれて

色んな感情が溢れ出しそうで、涙を必死で堪えてた僕に

『俺がFUNKIST好きなんだよ。それだけじゃダメか?Sky Jamboree出る理由』

と言ってくれて


もう感情のダムは完全決壊


2009年8月23日Sky Jamboreeのステージに飛び出し僕が最初に叫んだ言葉は

『長崎!FUNKISTは休憩時間じゃねぇぞ!!』

だったのを覚えてます!!

BORDERが始まると1万人近い人が全員で踊ってくれて





そうやって僕らの夏フェスの歴史は幕を開けたのでした


そこから

2010年



2011年




とSky Jamboreeに出演させてもらって

有森さんは天国に旅立ってしまったけど

あの日稲佐山でかけてもらった言葉を忘れたことは一度だってないし

あの日の一言が背中を押してくれて今のFUNKISTはあるんだとも思うんです。


長崎が僕らの夢を叶えてくれたのでした。


それから数年


またまたビックリする話が長崎から届いたのでした


長崎のプロサッカーチームV-ファーレン長崎がFUNKISTの曲をチャントに使いたいといってくれてる


という連絡だったのです。

JFLからJ2にV-ファーレンが昇格した年

スタジアムでライブをさせてもらう機会をもらいました

その時大好きな長崎になにか恩返しがしたくて、勝手に作ったテーマ曲がV-ROADでした。


そのV-ROADを長崎のサポーターのみなさんが応援に使ってくれると 



子どもの頃憧れたサッカー選手にはなれなかったけど


毎試合Jリーグで選手の背中を押す応援チャントとして、僕らの曲をサポーターのみなさんがスタジアムに連れていってくれる

涙が出ました


8月9日

長崎に来るたび

戦争の話を聞かせて頂き

平和の灯火を胸に

また次の一歩が始まります


そんな長崎の町のサッカーチームのV-ファーレン長崎が縁を繋いでくれて


今回V-ファーレン長崎のユニホームを手がけるhummelとコラボでFUNKISTユニホームを作ることが出来ました


音楽で世界を変える!!と叫んできた僕らにとって『スポーツを通して世界を変える』をブランドミッションにしているhummelとコラボ出来ることはこの上ない喜びで

今回僕らの想いにしっかり寄り添ってユニホームを作ってくださって







今回ホーム&アウェーのユニホームが黒と白でレインボーが入ってるのも肌の色を超えて音楽で虹をかけるというFUNKISTを表現してくださり、さらにFUNKISTのイメージ『LION』もデザインで表現!!さらにhummelとFUNKISTのロゴもプリントされ

背中には結成20年目の背番号20と

CHANGE THE WORLD THROUGH SPORT & MUSIC

の文字


そして肩には繋いでくれたV-ファーレン長崎に感謝を込めてVファーレンカラーの折り鶴をプリントさせてもらいました


そして今回ユニフォームを一枚ご購入いただく毎にhummeとFUNKISTから100円づつ計200円を、アフリカの子どもたちを支援する活動に使わせて頂くことも決定。ユニフォームを着てライブを楽しんでもらったその笑顔がアフリカの子どもたちの次なる笑顔に繋がるピースユニフォームとさせてもらいました。


めちゃくちゃ夢があるユニホーム!!


さらに今回8/30から始まるツアーにユニホームを着て来ると、FUNKISTユニホームステッカーがもらえちゃうキャンペーンも実施


こちらは詳しくはFUNKISTニュースをチェック

というわけでワクワクドキドキ溢れるユニホームが完成したのでした


サッカー選手にはなれなかったけど


サッカーチームのユニホームは完成できました


描いた夢が一つ一つ実現していく幸せ


みんなと一緒に分かち合える今が愛おしい



沢山の夢を叶えてくれた長崎の町に心からありがとう


これからも歌でしっかり恩返ししたい!!

LOVE長崎!!



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そしてFUNKISTユニホーム通販限定カラーはふぁんきす堂で販売中!!



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