『資料館には原爆でボロボロになったお弁当箱があるでしょ

爆風がいかにすごかったか

全てを炭にしてしまった熱風がいかに凄まじかったか

みんなあのお弁当箱から

そういう事を感じ取るの


でもね


本当に一番大切なのは

本当に忘れちゃいけないのは


あのお弁当を


誰が、誰のために作ったのか?


って事なのよ


誰が誰を思い、作ったお弁当だったのか?


まもなく、それを語れる人が


いなくなるわ』






8月6日のライブ後の打ち上げは一生忘れられない時間となりました



8月6日ハチドリ舎でのライブが終わり




僕はライブ中『What a beautiful morning』というLOVE SONGを歌った時、一人の70代くらいの女性が涙を流されてるのが目に入り


そこからその女性はずっと涙を拭いながらライブを聴いてくださっていて


ライブ後にそっと声をかけに行ったんだ


『今日はありがとうございます。昨日も来てくださってましたね。』

って。そしたら

『私、あなたの歌を聞いていて、亡くなった主人にすごく会いたくてなっちゃって。すごく好きだったから」

と言って大粒の涙を流されて



そんなに強く愛せる人がいるって

なんて素敵なんだろう。

その女性の言葉に胸を打たれていると

その女性が名刺を渡してくださり


名刺を見て僕はビックリ


なんとそのかたは広島原爆資料館の館長を務められ、世界に広島の事を発信し続けた小倉馨さんの奥様『小倉 桂子』さんだったんです。



桂子さんが42歳の時に旦那さんが天国に旅立たれて


でもそれを知らず、その後も『世界中から広島の事を伝えてくれ』という依頼が旦那さん宛に届き



『私が彼の思いを受け継ごう』

とそこから英語を学ばれて


今では世界中で広島の事をお話しされてる桂子さん



その日から40年。8月5日、8月6日は一年で一番忙しい日で


今まで休みだったことは一度もなく無く


日本中、世界中を飛び回られていたそう



そんな中、たまたま今年初めて8月5日、8月6日が休みになり



8月5日HIPPYのイベントで僕の歌を聴いてくださり


8月6日わざわざライブに来てくださったのでした




『ずっと強くいなきゃ。私が伝えなきゃって気づかないうちに張り詰めて頑張ってたみたい。

今日何十年ぶりにこの日が休みになって、あなたの歌を聴いて

あぁ、私はこんなに主人の事が大好きだったんだなぁ。って気づいたの。

人前で涙を流すことなんてないのに。

あぁ私がやってきた事には意味があったのかなぁ?

一体何が出来てたのかなぁ?

あの人の想いを上手に受け取れてたかなぁ?』


と涙を流されながら一つ一つ伝えてくださる言葉に胸が締め付けられて





『そしたら今日は思いっきり泣きましょう』

と伝えると


『たった一言でいいから「よく頑張ったね」ってあの人に褒めてもらいたかったわ』
 

と涙を流されて





沢山の愛を胸に


ずっと未来を生きる僕たちの為に


戦い続けてくれた40年以上の道が


そこに見えた気がしました



そしてもしかしたら僕は今夜寂しさや悲しさを音楽でギフトしてしまったんじゃないか?


と僕自身その日のライブ


もっと他の伝え方があったかもなぁ


と自問自答しながら迎えた打ち上げ





なんとそこに



桂子さんも来てくれてるじゃありませんか!!



そしてその表情はさっきとは一転


すごく晴れ晴れとした顔で桂子さんは打ち上げに参加してくださって

『いっぱい泣いて、なんだかスッキリしちゃったわ!!』

って。


良かったぁ(泣)


『今日は本当に素敵な1日をありがとう!すっごく幸せな8月6日だわ』

って。


もうなんか『歌っててよかったぁ!』って心から思った。







桂子さんも広島で被爆されていて

本当に言い尽くせないくらいの悲しみを乗り越え

今日まで歩いてこられて


だからこそ


『今日は幸せ』


の一言が


すごく嬉しかった。


そこから打ち上げでは桂子さんひ色んな話を聞かせてもらって



アメリカで今から戦争に行く若い兵士のみんなに話をしに行った時の事



『あなた達は自分がどれだけ愛されてるかを知らなすぎる。

私たち広島の人間は愛する人を失う悲しみを知っている。

あなたが命を落とせば、ご両親がどれだけ悲しむかを知りなさい

あなたが命を落とせば、お友達がどれだけ苦しむかを知りなさい


だから約束しなさい


どんなにみっともなくても

どんな状況だろうと


絶対に生きて帰って来ると


そして

あなたが引く引き金の先にもまた


同じように愛されてる人がいる事を忘れないで』


というお話をされて


若い兵士達は涙を流しながら『桂子ありがとう』とみんなかハグをしに来てくれたこと






第二次世界大戦当時B29を操縦してた退役軍人の人とアメリカで会った話し


沢山話してくださって


その全ての話の中に


大きな愛が溢れてて

とてつもなく強い信念が貫かれてて


かっこいいなぁと


僕も一瞬で桂子さんのファンになってしまったのでした。


そして打ち上げも夜中1時を越えた頃


桂子さんが話してくれました


『音楽には人の想像力に訴えかける力があるでしょ?』


『はい』


『原爆資料館に爆風でボロボロになったお弁当箱があるのしってる?』


『はい。見たことあります』




『資料館にある原爆でボロボロになったお弁当箱

爆風がいかにすごかったか

全てを炭にしてしまった熱風がいかに凄まじかったか

みんなあのお弁当箱から

そういう事を感じ取るの


でもね


本当に一番大切なのは

本当に忘れちゃいけないのは


あのお弁当を


誰が、誰のために作ったのか?


って事なのよ


誰が誰を思い、作ったお弁当だったのか?


まもなく、それを語れる人が


いなくなるわ。


だから被爆者がいなくなった後にも


みんながあのお弁当箱を見て


「もしかしたらお母さんが早起きした愛する子供に作ったお弁当だったのかも」

「もしかしたら大好きな家族に一生懸命作ったお弁当だったのかも」


と想像させるイマジネーションを、あなた達ミュージシャンには音楽で人に与え続けて欲しいの。


かけがえのない想いのこもったお弁当が、日常が、一瞬で消えてしまったという事を、みんなが忘れないように』




その瞬間すごく大切なバトンを


桂子さんから受け取ったのを感じたんだ


このバトンは


絶対に大切にしよう


そして次の誰かに


しっかり渡し続けよう



愛と平和



誰かを想う心



愛する心




本当に一生忘れられない2018年8月6日になりました



奇跡のようなこの出会いに感謝



桂子さん本当にありがとう



広島でもらった沢山の想いを胸に



翌日僕は長崎に向かったのでした


ー続くー