沖縄ー!!

今年も6月23日沖縄に来ています。

まずは集合写真でライトに当たりすぎてJUOの顔が輝きすぎてる事を謝罪します!!


そんなわけで今年も6月23日慰霊の日は沖縄へ


73年前日本で唯一の上陸戦が行われ

一般人を含む20万人以上の人がその命を奪われました

その数は当時の沖縄人口の3分の1に相当すると言われています

イメージしてみて

自分の家族や友達、大切な人が3人に1人今日いなくなってしまう事を

沖縄のおじいちゃんおばあちゃんは、そんな悲しみを乗り越えて今日まで歩いて来たんだということを

そんな凄惨な沖縄の組織的な戦争が


73年前の6月23日に終わりました


それが沖縄の慰霊の日


そんな沖縄に今年は6月22日に入りました

20歳ぐらいからずっとガイドしてもらってる平和ガイドの松永さんに今年もお話を伺いました


大好きなガイドさんです。

松永さんは戦後生まれです。戦争を経験していない。

でも沖縄のおじいちゃんおばあちゃんの所に何度も足を運び

何気ない日常会話の中から当時の話を少しづつ聞き取り

その言葉をおじいちゃんおばあちゃんから許可をとって、ガイドする人に伝えている方です

沖縄の戦争は最初にも少し書きました、あまりに悲惨な状況だったためおじいちゃん、おばあちゃんも語りたがらない人が多いです。

当然です。それはけして歴史の話しなんかじゃなく、

愛する人を失った自分の人生の物語なのです


言葉にするたび心の塞いでいた傷口をまた開くように痛みと悲しみが溢れます


僕も20年近く沖縄に通って

大粒の涙をこぼしながら当時の話を聞かせてくれるおばあちゃんと何度も出会いました


もっと一緒に過ごしたかっただろうなぁ

今の平和な空を一緒に見たかっただろうなぁ

もう一度強く抱きしめたかっただろうなぁ


おじいちゃんおばあちゃんが傷口を開いてでも伝えてくれた言葉から、僕は『二度と戦争はしない』という覚悟をもらいました。それは話してくれたおじいちゃんおばあちゃんとの約束でもあります。

約束は絶対に守らないといけないんです。

6月22日の平和祈念公園


この日も優しい風が吹き

青空がどこまでも広がる

沖縄の空でした




当時は防空壕として使われていたガマ

ここでも松永さんがガイドをしてくださいました

このガマによって命を救われた人が沢山います

また逆にこのガマの中で命を落とされたかたも沢山います

声を出す事も許されず

光を見ることも許されなかった73年前


松永さんから

『今は大声で歌える時代になったよ!』と報告して欲しい

と言っていただき今年も歌を歌わせてもらいました

今回は沖縄県外の音楽仲間もみんな集まってて

みんなで話を聞けたのが嬉しかったなぁ


松永さんありがとうございました!!




そして翌日23日は沖縄全戦没者追悼式に


中学生が書いた詩に胸を打たれ



また毎年参加しながら今の沖縄の空気を感じらるこの式

色々な想いを受け取りつつ

今年も保育園が主催するイベントに出演させてもらいました

会場に入ると沖縄民謡のレジェンド古謝美佐子さんが沢山の子供達に髪の毛を引っ張られている!!!!!(驚愕)


でも古謝さんなんか嬉しそう


楽屋に戻られた古謝さんに

『大変でしたね!』

って言ったら

『なんか昔の自分を見てるみたいで嬉しかったさ。』

と優しい笑顔。

本当に大好きな先輩です。

今年も自由奔放に駆け回る子どもたちと

いつもなら『子どもが小さいから』という理由ででコンサートに参加する事を断念しているお父さんお母さんもこの日は

『子ども騒いでOK』

のイベントなのでコンサートを存分に楽しんでくださって

僕らもライブしながら

なんとも幸せな時間でした




これは昨年の映像


子どもたちの自由なことよ(笑)


子どもたちが自由に泣き笑い出来る今を

明日に繋げよう

来年も5年後も、10年後も、100年後も1000年後も

こんな風にみんなで笑顔でイベントが出来るように

平和を繋げよう

そして今もまだ戦火の下にいる子どもたち

お腹を空かせた子どもたち

差別に苦しむ子どもたちが


1人もいなくていい世界へ


平和を広げていこう


今年も沖縄に大切な事を沢山教えてもらった


6月23日でした


LOVE沖縄


大好きです