さぁ!南アフリカで ツアーを振り返り綴っているこのブログ!!

日本から22時間の空の旅を経てたどり着いた南アフリカはヨハネスブルグ!!

ついた初日は楽器屋さん経由で児童養護施設village safe haveへ!!

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子どもたちとの最高の時間を過ごした僕らが南アフリカ2日目に向かったのは


南アフリカ最大のタウンシップ


Soweto

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アパルトヘイト時代は『黒人居住区』と呼ばれ沢山の悲しみが生まれた場所

街に着くや庭でギターを弾く青年、裸足で駆け回る子どもたち、少し鋭い目線の男性達と、優しい微笑みのママたち

あぁ!帰ってきたぜSoweto!!

今回もこの街を案内してくれたのは

Soweto産まれSoweto育ちの世界的フォトグラファー『ビクターマトムさん』

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僕たちが尊敬してやまない最高のカメラマンです!!

生前のマンデラ大統領を撮ってきたカメラマンでもあります。

ビクターさんは長きに渡りカメラの技術をSowetoの子どもたちに無償で教えてきた地元みんなのお父さん。その功績が称えられ、今では世界的にも有名なカメラメーカーが無償でカメラをプレゼントしていて、そのもらったカメラをまた次の世代に手渡し、技術指導を続ける超大きな愛を持った人。

今ではSoweto出身のビクターさんのお弟子さん達が世界中でプロカメラマンとしてご活躍していて

ある種貧富の差の激しいこのエリアで、犯罪を犯すことでしか生きられない子ども達に、真っ当な生き方を何十年にも渡ってギフトし続けてるその姿はもう超カッコいいんだ!!

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毎年そのビクターさんにSowetoでアーティスト写真を撮っていただくのが恒例になっていて


身長190cm以上あるビクターさんはアパルトヘイト当時、やりたくもないボクシングで生計を立てて家族を支えてきた。

本当に優しい人で。アパルトヘイト当時のSowetoでは悲しい事がいっぱいあったって。

Sowetoをガイドしてもらいながら

『ここで親友が撃たれて死んだんだ。あの時は4000人の仲間が死んだんだ。』

『今人で賑わってるこの一角も、昔は凄く悲しみで溢れた場所だったんだ。何万人もの家族が撃たれたんだよ』

と寂しさと悲しさを宿した目で語ってくれた。

でも街に出るとビクターさんは底抜けに明るくて

すれ違う人みんなにハイテンションに手当たり次第声をかけるんだ!!

「ママ!元気かい?今日も綺麗だよ!!」

「おいっ!お前達ちゃんと学校行ったのか?」

「おぉ!あんな小さかった女の子がこんな大きくなったのか!よしわかったキスしよう!!」

ビクターさんがジョークをかっ飛ばしながら街を歩くと、少し落ち込んでいた街が色を取り戻すように笑い声と活気に溢れていく。

そんな人だからこそ、街のみんなから慕われていて、世界一治安が悪いと言われるヨハネスブルグのタウンシップという場所でさえ、ツアーガイドする事を可能にしてるんだ。

実際数年前Sowetoに行った時、ビクターさんとちょっと離れた隙に銃を持った男達に囲まれた事があった

でもすぐさまビクターさんが飛んで来て

「やめろ!やめろ!俺の大切な友達だ!!大切にしてくれ!!」

とビクターさんが伝えると彼らは「サッ」と手を出して、僕がその手を握ると

「ビクターの仲間なら俺たちのファミリーだ!もうなにも心配しないでSowetoを楽しんで行ってくれ!」

とハグしあった。

そんな街のギャングたちでさえ、ビクターさんを父の様に敬っていたんだよね。

ビクターさんは「全く悪ガキ達が!!」と笑いながら怒鳴ってた姿がまた印象的だった。

そんな彼らに話を聞いた事もあった。


「俺たちだってこんな事したくないんだぜ。悪い事なんかしたくねぇんだ。でもさ、(街を裸足で走り回る子どもたちを指差して)盗まなきゃあいつら食わせられねぇんだ。あいつら死んじゃうんだよ。

って言って彼らが見せた悔しさと悲しさを帯びた目。

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そしてビクターさんが走り回る子どもたちを見つめながら

「この街のみんなが、子どもの時はあんな真っ直ぐな目を、、、してるのになぁ、、、」




とこぼした一言が、まだ胸に残ってる


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ビクターさんに昔こんな質問をした事がある


「ビクターさんは自分の人生を振り返ってどんな感想を持ってますか?」


そしたらビクターさんはニコッと笑って


「一つも後悔ないよ!最高の人生だった!沢山の素晴らしい友人にも恵まれたし、大好きな家族だって沢山!今だって西郷達と出会えてるしね!この人生で良かった!そう思ってるよ!!」

と教えてくれて

「そうですか」

と俺が頷くと

「でもね、、、」

と少し間を置いて

「今のSowetoの子どもたちには、、、俺みたいな人生は、、、、もう経験して欲しくないなぁ」

って、言ったその一言がズシーンって胸に響いて来て


ビクターさんの底抜けの明るさの奥にある、計り知れないくらいの悲しみを


その瞬間垣間見た気がしたんだ。


アパルトヘイトは俺が中学3年生まであった。

アパルトヘイトがなんだったのか?

明確に答えられる人はきっとそういない。

それは「今の阿部政権ってどういう物?」

と質問した時、きっと10人が10人違う印象や総括を語るのに近いかな。

肌の色が違う人達は分かり合えないから別れて暮らそうと居住区を分けた。白人手動で。

結果白人手動で行われた政策はアンフェアな状況を生み国家的な差別に発展していく。

あえてこの言葉を使うけどそんな時代に「混血児」として産まれた俺にとっても、家族を悲しませ、俺の存在を否定し続けたアパルトヘイトは憎き存在だった!いつもぶっ壊してやりたかった!南アフリカなんか大っ嫌いだった。肌の色が違っても愛し合えるって!俺はこうして肌の色が違う両親の元生きてるぞっ!!って、いつも叫んでた。

実際母は父と結婚する為に国を捨てた

娘を失ったおばあちゃんは娘が日本人と結婚したことで差別を受けて、園長をしていた保育園が潰れた。

アパルトヘイトなんか大っ嫌いだった



でもそれと同時に白人家系に産まれた俺は加害者の歴史も背負ってる。

だからアパルトヘイトに家族が苦しめられながら、でも被害者面は出来なかった。

だって俺よりも苦しい想いをしてる黒人の人達がいっぱいいて、それは白人が作ったルールによるものだったから

学校でアパルトヘイトが教科書に載った時

「お前の家族も差別主義者なの?」

と言われた。

「違う!俺の家族だって戦ってるんだ!俺だって、、、」

って言葉が喉まで出かかって、


でも南アフリカで暮らす黒人の人達の顔が思い浮かんで

その言葉を飲み込んだ。

なにも言えない事が辛くて、悔しくて、悲しかった。でもそれが南アフリカの白人に生まれた自分が背負わなきゃならない現実だ。二度と繰り返さない為に。

でもやっぱり、大好きなおばあちゃんを、おじいちゃんを、大切な母を、父を

「差別主義者」と言われても、なにも語れない自分が嫌で嫌で死にたくなった。


そんな沢山の感情の中心にいつもあった、このアパルトヘイトの象徴とも言える街『Soweto』に来る事に僕はすごく意味を感じてる。



そしてそのSowetoで生きたビクターさんと言葉を交わし合い、同じ時を過ごせる今が、俺は大好きだ。

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そんな中で今回もビクターさんに無茶振りをしてしまったんだ

「ビクターさん」

「うん?」

「あのさぁ、やっぱり、その〜、今日Sowetoでライブしたいんだけど無理かなぁ?」


さすがに『今日』って言うのは無理だよなぁなんて思っている俺を他所に

ビクターさんは道を歩いてる女性に

「ねぇママン。今日彼らここでライブしたいんだ!!子どもたち集めてよ!!」

って速攻話しかけてくれて

ママは少し面倒くさそうな顔を見せると

「2時間後に来て」

というとニコっ!っと笑った。その刹那僕らの横を車が通り過ぎるとビクターさんはその車を

「止まれ!止まれ!!」

と制止して止めると

「どうした!!」

と運転席から顔を出したおじさんに

「彼らが今日ライブをしたいんだ!よろしく!」

と言うと彼は

「2時間後に来てくれ!」

と言って車を走らせた。

衝撃の交渉術

「ライブしたい」

と言った3分後にライブが2本決まった。

そ、Sowetoハンパねぇ!!

そのおじさんが

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この左に立ってるギターTシャツの人!

なんとこの人が子どもたちが集まる児童館の園長先生だったんだ!!

マジでー!!!!!!


というわけで急遽子どもたちの前でライブが決定!!

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みんなノリノリで聴いてくれて

超楽しかったぁ!!

一緒に歌ってくれて、踊ってくれて!!


そしたら今度は地元のボーカリストが歌い出して


えっ!!さっきの園長先生がジャンベをスパパパーーーーン!!!!!!


そしたらみんなの大合唱がスタート!!!


うおー!!リズムが超アフリカ!!

血沸き肉踊るぅ!!

ナオトが横で「悔しい!このグルーヴ!すげぇ!すげぇ!!悔しいけど踊ってしまうぅ!!」とノリノリ!!

最高の音楽の交換だった!!

あぁ!幸せだ!音楽最高だ!

そんな幸福感に浸っている僕らに

「うわぁ!ママンとの約束の時間だっ!!」

とビクターさん!!

あっかーん!2時間後にママが地元の子どもたち集めてくれてるんだったぁ!!

というわけでみんなに挨拶してさっきの場所にダッシュ!!


到着!!


うわぁ!ママが沢山子どもたち集めてくれてるぅ!!
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ありがとう!!

そして早速ライブスタート!!

子どもたちは初めて見るエレキ楽器に目がまん丸。

その時でした

ギターを持った青年が通りかかったのです!

「あっ!さっきの!!」

そう、実はSowetoに到着した時、家の庭でギターを弾く青年と出会ったんだけど、彼だったんだ!!

「一緒にやろう!!セッションしよう!!」

と叫ぶと彼は何かを言っていなくなっちゃって


Sowetoだけでも13個の言語があるからもう言葉はチンプンカンプンなんだけど


「ダメかぁ〜残念!!」

と思ってライブを続けてたら彼が友達を連れて帰ってきて


「一人じゃ心細いから友達を連れて来た!!」

と言ってきてくれて


最高だぜ!始めようセッション!!

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ボブマリーの曲とかをセッションしたんだけど彼が時折入れるフリーのMCが胸を打つ


「子どもたち!もう泣かなくていいんだよ!Sowetoの子どもたち!未来は全部うまくいく!俺が歌う!だからもう泣かなくていいんだよ!お母さんたち!もう泣かないで!子どもたちが見てるから!!」

そして始まるノーウーマンノークライ

もう鳥肌が収まらない

それと同時にSowetoで

今この瞬間

日本人と白人と黒人が

同じ未来を夢見て

同じ思いで

音を繋げてる

嘘みたいだ

夢みたいだ

でも今

それは目の前で起こってる現実だ

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こんな南アフリカを


俺は夢見てた


これが


全てじゃないか


抑えきれない涙が溢れた





ライブが終わって抱き合って

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最高の歌をありがとう!!って伝えたら彼も屈託のない笑顔で

「こんなサウンドで音楽やったのは初めてだよ!!最高だったよ!!」って。また握手して

最後は地元の子どもたちもみんな集まってきて

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パシャり!!

最高の時間だった。

たった5分の音楽で

僕らは何十年の歴史さえ時に打ち砕く

そしてそんな時

必ずそこに笑顔の花が咲く

南アフリカありがとう

ありがとうSoweto

出会いと繋がり

音楽と愛


大ッキライだったこの世界が


また一つ好きになった


そんな1日だった


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