{0F52BB64-EED0-40DD-B624-9221CECEB0B7:01}

地球のみんな!少しだけオラのブログを読んでくれ!!



というわけで2015年のFUNKISTを振り返ろうと軽い気持ちで

ちょろっ

と書き始めたらなんだかすんごい長編になってきてて自分にビビってます染谷です。
お付き合いいただきありがとうございます!!(土下座)

前回の続きです!!



『新しいFUNKIST』


それを宮田とヨシロウとファミレスで何度も話し合った。

二人とも共通して

『ソロでもバンドでもお前のやりたい事を思いっきりやれ!』


といつも言ってくれてた。

前にも書いたけど

『もう一度0からバンドを作る!!』

と腹をくくったら

未来にワクワクしてる自分達がいた

今まで蓋をしていたダムが決壊したように

あんな事しよう!こんな事しよう!!

っていうアイデアやイメージが3人から溢れてきた!!


それは『こんな曲作ろう!』っていう具体的なイメージから『南アフリカワールドカップで行った10万人のスタジアムをFUNKISTのライブでSOLD OUTさせよう!!』なんていうバカ丸出しな目標まで!でもその景色がハッキリと見えてしまえば、それがどんな途方も無い夢だろうとあとは一歩一歩進むだけだ!!

結果ももちろん大事だけど、結果だけじゃなくそこに向かうプロセス全てが夢なわけで

その全部がワクワクに溢れてた



新しいFUNKISTの『音像』についても何度となく話し合った!!

もっと土着で、もっと俺らにしか作れないものを!!

ウィリーとナオトにアプローチして、より明確に見えてきたサウンド感があった。


そんな中、最初に言ったのはヨシロウだったと思う。

『やっぱり染谷君のリズムやラップ、作る曲の「ループ感」(俺が作る曲はコードの展開がなく、リズムの変化だけで曲を展開させていくことが多いんだ)みたいなものを考えると、ヒップホップの要素は絶対相性がいいと思う!』

とヨシロウが言い出して、俺の中に『アレステッドディブロップメント』の音楽が浮かんだ!!

もともと俺はヒップホップを遠ざけてる所があって

ディスったり、罵倒したり、そんな音楽の方向性が好きじゃなかった。


もちろん環境、文化、カルチャー、現実

色んな歴史の中で生まれた音楽スタイルだからリスペクトはすごくしてる。

でも『自分とは合わない』

そう思い込んでた。でも20才頃に宮田とバンドやることになって、あいつから最初にもらったのがアレステッドのカセットテープ(時代だねぇ~)だった。

聴いてぶったまげた。

全てを肯定するポシティブさに溢れてる!

陰と陽で言えば間違いなく陽の音楽!

しかもメンバーにおじいちゃんがいる!

なんだこれは!

あっという間に大好きになった!

そこからアレステッドのメインラッパーのspeechのラップをコピーしまくった!

それが俺がラップを始めるきっかけだった。

そこからspeechがジャマイカンラップを取り入れてる曲と出会い、ジャマイカのラップに興味を持ち、手当たり次第コピーして

今の形が出来上がった。

そんなヒップホップのイメージを3人で重ねた時

バチっ

とハマるものを感じたんだ。

ヒップホップの要素かぁ

やっぱりDJかなぁ?

サンプリング?


うーん。もっと人間のアナログな力『生音』に拘りたいんだよなぁ~


と思った時に頭に浮かんだのがSIMAだった!!


『ハッ!!』

と息を飲む俺を2人が覗き込む


『どうした?』


『1人いた!』

『えっ』

『すっげぇアナログで、ヒップホップの要素を注入出来るヤツが!!』


『?』


とハテナマークが灯る宮田とヨシロウ


『ヒューマンビートボクサーだよ!!』


『ヒューマンビートボックス!!!!』


2人とも免食らった顔してた(笑)


そりゃそうだ!バンドにヒューマンビートボックスなんて前代未聞だ。


2人にソロでよく一緒にやってたSIMAの話をすると2人とも


『おう!おう!』


とめちゃくちゃ前のめりだ!!


とにかく一回聴きたい!!


と2人が言い出して、すぐさま3人で関西へ!

京都に住むSIMAの元に向かいスタジオでセッションした!!


『面白い!!』


FUNKIST最後のピースが音を立ててハマるのが聴こえた。


スタジオ後、SIMAに

『FUNKIST一緒にやらないか?』


って声をかけた。

SIMAはその言葉を聞くと目を潤ませながら


『俺やりたいっす!!』


と真っ直ぐに言った。


SIMAは高校の時にハモネプに出場して好成績を残してる。

人気テレビ番組に出場したことでその反響は想像を絶するほど大きかった。


そして反響の大きさは、賞賛の声とともに非難の声も呼んだ。


それは17、18才の少年には受け止めることができるものでは無かった


そしてSIMAは静かにマイクを置き、就職する道を選んだのだった。


でもソロでSIMAと話をすると

『こうやって音楽やれて本当に幸せです!!』

っていつも目をキラキラ輝かせてて


『あぁ本当にこいつ音楽が好きなんだなぁ~』って思った。


そして同じハモネプに出ていた同世代の仲間たちがプロとしてデビューし活躍している姿は、ただただ眩しかった


高校の卒業後SIMAは阪急電鉄に就職して、車掌として働きだした

だからソロライブで共演した翌日は車掌として働くため駅に向かう、なんてザラだった。

もしかしたら関西で阪急に乗った人はSIMAのアナウンスを聞いてるかもね(笑)


素晴らしい先輩、同僚、後輩に囲まれて仕事は本当に充実していた。


そんな中で18才から6年、真面目に働いて、ついに車掌から運転手へキャリアアップするチャンスが巡ってくる。


先輩はSIMAの為に時間を惜しげもなく割いてくれて、運転手の試験に受かるようにと毎日勉強に付き合ってくれてた


そんな運転手の試験まであと1ヶ月と迫った頃


FUNKISTからスタジオに呼び出されセッションして

『一緒にFUNKISTやらないか?』


と声をかけられたのだ。

迷いは無かった。

即答で『俺やりたいっす!!』


そう答えた!あの日一度諦めた『音楽』という生き方を、あの日置いたマイクを


もう一度拾う覚悟は


もう出来ていた。


ただ、


一つ



長い間自分の運転手試験昇格の為に、協力し続けてくれた先輩や仲間たちの顔が浮かんで、苦しくなった


運転手試験に合格すれば来年3月まで研修期間が始まる


秋に始動するFUNKISTに入るなら、運転手の試験は受けられない。



そしてSIMAは、会社に行くと勇気を決して


その音楽への想いを先輩に伝えた


『本当にごめんなさい!僕音楽が、やっぱり音楽がしたいんです!運転手の試験受けられません!いっぱい付き合っていただいたのに、本当に本当にごめんなさい!でも会社に迷惑掛けないように、秋までちゃんと働いて後任の人にちゃんと引き継いでから辞めます!!本当にごめんなさい!』


殴られても仕方ない。そのくらいの覚悟で伝えた。


すると先輩がゆっくり口を開く


『シマ、秋まで働くなんて言うな!!』


『えっ?』

困惑するSIMAに先輩は続けた


『本気でやるんだろ音楽!なんとなくそんな気がしてたんだ。だったら今度は音楽に向かうお前を俺は応援するよ!秋までなんて中途半端なこと言うな!後処理なんか俺がなんとかしてやる!だから今月末で会社辞めて、思いっきり音楽やれ!!頑張れよシマ!!』


と背中を押してくれた。


あんなに協力してもらって、なのにそれを裏切る形になってしまった自分なのに

その全てを受け止めてくれて

また背中を押してくれた


『ありがとうございます!俺、絶対FUNKISTで成功してみせます!見ててください!俺、頑張りますから、見ててください!!』





そして最後の仕事の日


SIMAは車掌として最後の任務についた。

電車が終点の駅にゆっくりと入っていく


6年間の日々が込み上げてきた
 

楽しかったこと、責任が問われる仕事と本気で向き合った日々、仲間との時間、そして先輩が教えてくれたこと


色々な思い出が溢れ出し、電車は終点に到着した

その時、

SIMAは自分の目を疑った


終点の駅に


同僚、先輩、後輩、


みんなが内緒で集まって、迎えてくれたのだ


込み上げるものが止められなかった



『シマ先輩お疲れ様でした!』


と言ってくれた後輩も泣いていた



これから始まるFUNKISTという新しい道


この人たちの想いに恥じぬよう


みんなとの日々を胸に全力で走りだそう!!


あの日マイクを置いた少年は、再びマイクを手に走り出す!!


SIMAの目は真っ直ぐに


未来を見つめていた!!




~続く~





{67004BE5-F775-435C-80C6-5488251DE3D7:01}