みんな元気?
今日は春のここちいい日だね。
今日は朝からスタジオ行って、その後は地元の桜の名所
飛鳥山
でのーんびりギターひきながら曲作りしてました。
あぁ春って素敵だね。
今まで以上に感じるよ。
これでシーベルトとかデシベルとかが無ければ、もっと気持ちいいんだろうなぁ。
原発については色んな意見があるよね。
色んな意見があるって事は『無関心』じゃないって事だからいい事だ。
そんな沢山あるなかの1意見だと思ってもらえたらいいんだけど
俺は原発はNOだと思ってる。
それは昔雨の日の秋って曲にも書いて、リリースにあたり歌詞を直す直さないで正直すごくもめたんだ。
結局一切直さずリリースしたんだけどね。
ぶつかりながら、最後は理解してくれたスタッフに感謝してる。
歌詞の中で『核』と書いてゴミと読んだり、「大気は汚染でB abyは嗚咽」という歌詞が過激すぎると言うのが問題になったんだ。
でも昔からそうだけど
メッセージを発する時の
『過激さ』と『ストレートさ』はすごく近くにあって、僕の場合はオブラートに包んだ瞬間自分じゃない感覚があって
だからこと音楽に関しては、確実に実感と素直な思いで書いてきたと言い切れる。
もちろん『モミアゲ』にどんな真意が?と問われてもまるでわからないけど…
で、話は戻るんだけど原発ね。
僕はこの地球を、未来を生きる子ども達を思うとき、原子力発電はあまりにリスキーだと思うんだ。
事故もそうだけど、仮に事故が起きなくても使用済み核燃料を捨てる場所も無く、仮に埋めたとしても何万年も放射能は消えずに地中に留まれ可能性があるわけで。
僕らの世代の選択で責任をとれる範囲ならまだ考える余地もあるんだけど
今から何万年も先の人に放射能のバトンを一方的に渡すなんて、本当に嫌なんだ。
それでね、今回事故が起きたでしょ。
沢山の人が少なからずその影響をうけてるよね
もちろん僕もその一人で。
実際生まれたばかりの娘とは水の事もあってあの日から会えてないし
僕自身毎日お風呂に入りながら、正直心の隅っこには怖さがあったりするんだ。
だから、そういう意味ではみんな被害者なんだよね。
でもね、きっと僕らはいつまでも被害者のままでいちゃいけないとも思うんだ。
特に首都圏に住んで、電気を大量に使っていた僕らは。
だって、僕らは「絶対安全」だという言葉を信じ込み、世界中に放射能をバラまいてしまった加害者でもあるんだから。
何十年、へたしたら何万年先の、選択すら出来なかった子どもたちにまで、放射能を吸わせる事になってしまった。
この過去はもう消せないし、無くすことは出来ない。
僕らに唯一出来ること
それはこのミスを『二度と繰り返さない』って事だと思うんだ。
その為に僕らは今回の事をうやむやにせず、深く受け止めなきゃいけない。
きっと色々な事情が絡み合う世界だから、報道でも徐々に徐々に、何事も無かったかのように扱いは小さくなり、そして最後にはまるで大した問題でも無かったかのように、みんなが忘れていくように、道筋はつくられていくだろう。
でもね
このミスに『2度目』は無いんだよ。
繰り返しちゃ絶対にだめなんだ。
だからその為には
・絶対に安全な原発を作るか
・原発を使う方向を諦めて、新しいアイデアを考えるか
のどちらかしか無いと思うんだ。
でもそもそも「絶対安全」と言われてた原発が壊れたんだから、原発に「絶対安全」は無いんだと思う。
だから僕は新しいアイデアを出すべきだと思います。
僕は専門家じゃないから、偉そうな事は言えないけど、apバンク幹事の田中優さんの話を聞いたりや映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見ると、そこには可能性が沢山あるような気がしてる。
今まで原発に傾けてた学者さんたちの知識を、国が原発にかけてきた予算を、時間を、自然エネルギーの開発にかけたなら
きっと世界に誇れる、未来に誇れる、素晴らしいものがこの国は作れると思うんだ。
そんな未来に向かいたいなぁ。
最後になるけどね、僕はアパルトヘイトの時、日本と南アフリカのハーフだったから、差別を受ける対象でもあったんだ。
つまり、白人家系の加害者にもなれたし
認められていないハーフとしての被害者の立場にもなれた
でも僕が選んだのは加害者の立場だった。
正直苦しかったよ。
僕にとっては被害者でいれた方が楽だったんだ。
「だれがこんな国を作ったんだ!!ふざけんなぁ!!」
って言えてる方がまだ楽だった。
でもね、僕が選んだのは加害者の立場だった。
それはね
本気で南アフリカを変えたかったからなんだ
アパルトヘイトをぶっ壊したかったからなんだよ。
その為には、自分が起こしてしまった過ちだと、しっかり受け止めなきゃならなかった!
アパルトヘイトで命を亡くされたかたの思いを、そのそばで涙を流された沢山の方達の思いを全て受け止めて
生きていかなきゃならない。
でも、僕らがそこに立てなきゃ、本当の意味ではなにも変わらないと思ったんだ。
だから僕は歴史の加害者として
バナナトレインを書いた。
次は日本人として、僕は問われてる気がするんだ
お前は
原発事故の被害者なのか
加害者になるのかと
春が大好きなんだ
夏が大好きなんだ
秋が大好きなんだ
冬が大好きなんだ
そんな四季の美しさを、その四季の空気を、本当は生まれたばかりの娘に気持ちよく、全力で吸い込ませてあげたかったんだ。
心の片隅にも、放射能の事なんか考えず
飲める水を、手渡したかったんだ。
あぁ悔しいなぁ。
僕の選択が、それを奪ってしまったんだから。
だからね、僕はもう繰り返さない!!
繰り返させない!!
背負う十字架がどんなに重くても
僕は自分の選択が過ちだったと認め
前に進む。
覚悟は出来てる。
それが僕の生き方で
それが僕の歌だから
今日は春のここちいい日だね。
今日は朝からスタジオ行って、その後は地元の桜の名所
飛鳥山
でのーんびりギターひきながら曲作りしてました。
あぁ春って素敵だね。
今まで以上に感じるよ。
これでシーベルトとかデシベルとかが無ければ、もっと気持ちいいんだろうなぁ。
原発については色んな意見があるよね。
色んな意見があるって事は『無関心』じゃないって事だからいい事だ。
そんな沢山あるなかの1意見だと思ってもらえたらいいんだけど
俺は原発はNOだと思ってる。
それは昔雨の日の秋って曲にも書いて、リリースにあたり歌詞を直す直さないで正直すごくもめたんだ。
結局一切直さずリリースしたんだけどね。
ぶつかりながら、最後は理解してくれたスタッフに感謝してる。
歌詞の中で『核』と書いてゴミと読んだり、「大気は汚染でB abyは嗚咽」という歌詞が過激すぎると言うのが問題になったんだ。
でも昔からそうだけど
メッセージを発する時の
『過激さ』と『ストレートさ』はすごく近くにあって、僕の場合はオブラートに包んだ瞬間自分じゃない感覚があって
だからこと音楽に関しては、確実に実感と素直な思いで書いてきたと言い切れる。
もちろん『モミアゲ』にどんな真意が?と問われてもまるでわからないけど…
で、話は戻るんだけど原発ね。
僕はこの地球を、未来を生きる子ども達を思うとき、原子力発電はあまりにリスキーだと思うんだ。
事故もそうだけど、仮に事故が起きなくても使用済み核燃料を捨てる場所も無く、仮に埋めたとしても何万年も放射能は消えずに地中に留まれ可能性があるわけで。
僕らの世代の選択で責任をとれる範囲ならまだ考える余地もあるんだけど
今から何万年も先の人に放射能のバトンを一方的に渡すなんて、本当に嫌なんだ。
それでね、今回事故が起きたでしょ。
沢山の人が少なからずその影響をうけてるよね
もちろん僕もその一人で。
実際生まれたばかりの娘とは水の事もあってあの日から会えてないし
僕自身毎日お風呂に入りながら、正直心の隅っこには怖さがあったりするんだ。
だから、そういう意味ではみんな被害者なんだよね。
でもね、きっと僕らはいつまでも被害者のままでいちゃいけないとも思うんだ。
特に首都圏に住んで、電気を大量に使っていた僕らは。
だって、僕らは「絶対安全」だという言葉を信じ込み、世界中に放射能をバラまいてしまった加害者でもあるんだから。
何十年、へたしたら何万年先の、選択すら出来なかった子どもたちにまで、放射能を吸わせる事になってしまった。
この過去はもう消せないし、無くすことは出来ない。
僕らに唯一出来ること
それはこのミスを『二度と繰り返さない』って事だと思うんだ。
その為に僕らは今回の事をうやむやにせず、深く受け止めなきゃいけない。
きっと色々な事情が絡み合う世界だから、報道でも徐々に徐々に、何事も無かったかのように扱いは小さくなり、そして最後にはまるで大した問題でも無かったかのように、みんなが忘れていくように、道筋はつくられていくだろう。
でもね
このミスに『2度目』は無いんだよ。
繰り返しちゃ絶対にだめなんだ。
だからその為には
・絶対に安全な原発を作るか
・原発を使う方向を諦めて、新しいアイデアを考えるか
のどちらかしか無いと思うんだ。
でもそもそも「絶対安全」と言われてた原発が壊れたんだから、原発に「絶対安全」は無いんだと思う。
だから僕は新しいアイデアを出すべきだと思います。
僕は専門家じゃないから、偉そうな事は言えないけど、apバンク幹事の田中優さんの話を聞いたりや映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見ると、そこには可能性が沢山あるような気がしてる。
今まで原発に傾けてた学者さんたちの知識を、国が原発にかけてきた予算を、時間を、自然エネルギーの開発にかけたなら
きっと世界に誇れる、未来に誇れる、素晴らしいものがこの国は作れると思うんだ。
そんな未来に向かいたいなぁ。
最後になるけどね、僕はアパルトヘイトの時、日本と南アフリカのハーフだったから、差別を受ける対象でもあったんだ。
つまり、白人家系の加害者にもなれたし
認められていないハーフとしての被害者の立場にもなれた
でも僕が選んだのは加害者の立場だった。
正直苦しかったよ。
僕にとっては被害者でいれた方が楽だったんだ。
「だれがこんな国を作ったんだ!!ふざけんなぁ!!」
って言えてる方がまだ楽だった。
でもね、僕が選んだのは加害者の立場だった。
それはね
本気で南アフリカを変えたかったからなんだ
アパルトヘイトをぶっ壊したかったからなんだよ。
その為には、自分が起こしてしまった過ちだと、しっかり受け止めなきゃならなかった!
アパルトヘイトで命を亡くされたかたの思いを、そのそばで涙を流された沢山の方達の思いを全て受け止めて
生きていかなきゃならない。
でも、僕らがそこに立てなきゃ、本当の意味ではなにも変わらないと思ったんだ。
だから僕は歴史の加害者として
バナナトレインを書いた。
次は日本人として、僕は問われてる気がするんだ
お前は
原発事故の被害者なのか
加害者になるのかと
春が大好きなんだ
夏が大好きなんだ
秋が大好きなんだ
冬が大好きなんだ
そんな四季の美しさを、その四季の空気を、本当は生まれたばかりの娘に気持ちよく、全力で吸い込ませてあげたかったんだ。
心の片隅にも、放射能の事なんか考えず
飲める水を、手渡したかったんだ。
あぁ悔しいなぁ。
僕の選択が、それを奪ってしまったんだから。
だからね、僕はもう繰り返さない!!
繰り返させない!!
背負う十字架がどんなに重くても
僕は自分の選択が過ちだったと認め
前に進む。
覚悟は出来てる。
それが僕の生き方で
それが僕の歌だから