益子の民藝絵付け師 皆川マスを彷彿とさせる土瓶に出会った


大阪に単身赴任していた頃、京都周辺の骨董市を沢山徘徊したが、中でも知る人ぞ知る新大阪のガラクタ市は格別だった。その出店者の中でも、早朝に関西中から骨董ガラクタマニアを集めるカリスマ商人がいた。小型トラックに満杯のダンボール箱を公園の床に敷いたカーペットに降ろした途端、多い時には50人を超えるちょっと怪しげな老若男女が、餌に群がるピラニアの如くガラクタに群がる様は興奮して何度も動画に撮った。笑

骨董マニアたちは家屋解体に伴う整理品、遺品整理品など、人の手垢や埃を被った人間の生の証のような特別な物たちに魅了されたに違いない。

暫くするとダンボールは食い尽くされた骨だけとなり、トラック横に立つ黒サングラスで素顔を隠した店主の前に欲しい品物を携えて列を成した。

そこでは、値段は間違いなく顔や身なりで決定されていた!  


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以下 日本民藝館より


1926年(大正15年)柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎らは名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語った。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示。


以下 皆川マスwikipediaより

皆川 マス(みなかわ マス 1874年(明治7年)4月10日- 1960年(昭和35年)7月8日 )は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の絵付け師、陶画工である。

その益子焼の「山水土瓶」の陶画は、濱田庄司に「自分と益子の縁を結んだ」と言わしめ、そして土瓶の絵付けを濱田庄司や柳宗悦たち民藝運動家に称賛され「無名の工人」の代表的人物として有名となった。