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熊の後ろ姿に惚れた。

日本橋・海老屋美術店のガラクタ市で100円だった銘『貞光』北海道民芸木彫り熊。



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沸き起こる好奇心を沈めるように、札幌への出張がタイミング良く決まる。



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R36では『貞光』には出会えなかったが、木彫り熊作家の茂木多喜治と柴崎重行を知った。


大正初めに尾張の殿様が開拓農民の副業のためにと製作を奨励したサムライ民藝。

【開拓が本格的にすすめられたのは、1878(明治11)年に旧尾張藩主の徳川慶勝が遊楽部の官有地150万坪の払い下げを受け、1892(明治25)年までに藩士94戸が移住してからのことです。慶勝卿は開墾試験場と徳川農場を開設し、道南随一の酪農郷の基礎を築きました。町名の「八雲」は慶勝卿が名古屋市熱田神宮に祀る須佐之男命の詠んだ古歌にちなんで命名したものです。】株式会社アイワードさんHPより引用