『日本の景気は20年は絶対に回復しません!(最低で)』長谷川豊
http://blogos.com/article/99422/
『「労働人口増加=経済成長」という長谷川豊氏の誤り』宇佐美典也
http://usami-noriya.com/?p=4696
サンクスギビングの友人宅でもちょいと話題になった”日本経済”。というタイミングでこの両記事がお腹いっぱいの僕に対して差し出される。まだ食えるだろ!ほら!ほら!!
興味ある人は読んでね!
さっきも大戦について80代の米国人のオバアチャンとオハナシできてヨロコビを感じていた僕はこの議論も放っておけません。
以下感想↓
内容はもちろんだけど記事全体の目的や読者への効果、それから反論の場合(この場合は宇佐美)は反論の仕方も評価しますよ僕はね!そーすると、結論としては、完全に宇佐美氏のはウンコで、長谷川氏は良い仕事してるという結論になってしまいました。
まず記事全体の評価から始めますが、長谷川氏の主張は中長期的な視点を薦めてる点をまず評価。それも一般市民(僕含め)に効果的な書き方で。一般市民の社会に関する知識が増えるのは僕らの経済生活とプラスに結びついてると思うし。
人口動態の影響を考えよーね!ってのが主旨の記事でした。
ポイントを絞ったアメブロっぽいかんじのいい記事だという総合評価です。
付け加えるとすれば(実際あの記事に付け加えちゃうと話が広がりすぎてまとまんない面白くない記事になっちゃうからだめなんだけど)、
戦後の成長は人口以外にも戦争外需とか兵器テクノロジーの一般産業への応用なんかもあるって聞いたことある気がします。てか他にも要因とか腐るほど沢山ありすぎて・・・例えば宇佐美氏が書いてる労働生産性の説明。でもこれ、説得力あるように見えるかもしれないけど全然そうじゃない。
なぜか
宇佐美氏が「大国であれば輸出入の影響はそれほど大きくないので経済規模っていうのは(労働人口×労働生産性)で概ね決まる」って書いてます。
この意見は、<経済規模=労働人口×労働生産性>って経済学的理論ぽいことを論拠にしてるけど、この理論多分、戦後の、今世の中に溢れてる経済規模に関する統計的数値は、労働人口と労働生産性をかけあわせたもので説明されることになってる、って意味ですよね。
まず、どっちが卵か鶏かわかんない。だって、宇佐美氏の記事から学ぶかぎりって話だけど、彼は経済規模をGDPでまず説明しといて、そのあと労働生産性はGDPを労働人口で割って計算してる(よね?)。で、生産性を上げると経済規模上がる!って書いてる。ちょっとまて。じゃあその理論は因果関係の説明にはなってないじゃん。どっちを増やすとどっちかも増える、っていう因果関係の。数字的にはどっちが増えようが減ろうが対応することになってるじゃん。てことは、その両者は単にもう一方の代理で使えるってだけじゃん。となるとその方程式の外側見るのが妥当じゃん。これが長谷川氏が喚起してることじゃん(この面白く無い説明を省いて)。
で、加えて・・・仮にこの宇佐美氏の説明が悪かったとする。もともとの理論は、GDPを経済規模に置き換えないとか、労働生産性は独自の指標があるとする。となると、鶏卵の問題は解消。
でも、それでもおそらく、その方程式は、現存する経済規模の数値がたまたま労働人口と労働生産性で説明できたってことで、他の要因を過度に見逃してる可能性があることを考慮に入れておくのが基本的な学問的態度なんじゃないかと推測する。
長谷川氏も経済学者の視点(←宇佐美氏の議論)は説明になってないって書いててこれは妥当な意見だと思う。「経済の話ってのは、すでに出てる数字上から計算していくもんだからです。なのでどうしても参考になる数値が後追いになっちゃう」って書いてる。
それなのに、その基本的態度を欠いて、悪口書いて、サイアクなんじゃないかと思う。(真面目な経済学者の方々に対して失礼なんじゃないのかなとも思う。)
だから、宇佐美氏のは全然反論できてない。もっともらしい議論ですりかえただけ。しかも悪口ばっか。まるで宇佐美氏が知識ないみたいな書き方だけど、これが下品すぎて嫌い。「議論の相手は知識ない!」って聴衆に向けて言って、議論にならないじゃん。
ということで、記事の目的とか読者への効果以外の、内容に関しても、長谷川氏の議論はもっともで、長谷川氏のはウンコだということになってしまいました。
やっぱり長くなった。
読んでくれたみんなにサンクスギビング。