ヘビーメタルのその後に -2ページ目

ヘビーメタルのその後に

真っ白だった壁もいつしか日焼けして
絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶことができない

 さて、ここで議論すべきは、この考え方に対して多くの人々が感じるであろう違和感についてである。「え、そんな自分勝手な考え方でいいの?」という疑問が浮かんだのではないだろうか。私も18歳の頃ならば、そのように躊躇していただろう。しかし、こうした一見自分勝手とも受け取られる考え方は、私たちが生きる現代日本の民主主義的政治機構を機能させるために必要不可欠であり、なおかつ日本の若者に十分浸透していない考え方である。それが、(若輩ながら)学校教育と政治学を専門に学んだ上での、現在の私の理解である。

 上記の違和感の原因は、先に述べた誤謬によって説明されると考えている。問題の根本は、「政策の判断は、国民全体の利益に基づいて下さなければならない」という誤った認識が広く受け入れられていることだ。マスメディアは、大衆(私たちのこと)に対して「国益を考えよ」という論調で喋るのが常である。そして、ニュースや新聞で日本の国益についての政府見解などを聞くと、多くの人は、「ああそうなのか」とただ鵜呑みにする。自身の利益が犠牲になることでも、国全体のためなら我慢するのが"お利口さん"だと考える。当然といえば当然である。なぜならば、初等中等教育で教えられるのは主に、教科書や新聞を鵜呑みにすることであるし、バブル世代前後の親の中には、驚くほど政治に無頓着な青年時代を過ごしたせいで、政治について家庭で語る術をもっていない人も少なくないからである。

 この誤った認識が広く共有されている一方で、多くの人々が決定的に認識を欠いている事実がある。それは、「国益を考えよ」というセリフを頻繁に喋る人々、すなわち議員や報道関係者こそが、典型的な個人的利益の追求者であるということである。彼らにとっての個人的利益は、選挙で当選することや、情報の消費者を維持することであって、有権者を利することや職業的理想を追求することではない。彼らが「国益を考えよ」と口にするのは、単にそれが彼らの商売の一部であるからにすぎない。

 また、大衆が「国益」を考え(ようと努め)、大衆自身の利益を自らすすんで犠牲にすることよって、個人的利益を享受できる人々もいる。例えば、大衆が「国益」のために消費税の増税を受け入れることは、その他の税(法人税など)を軽減したい人々にとって直接の経済的利益、あるいは相対的・社会的利益である。したがって、彼らは個人的利益を増大するために「国益」という虚構の概念を伴う言論を支持するし、「国益のため」という大義によって偽装された政策を賛美する。もちろん、彼らは万人を利するような「国益」と呼ばれるべきものがあるなどと信じてはいない。

 どんな例であれ、じっくり考えればわかることであるが、全ての人々を平等に利する政策などあり得ない。「国益」が標榜されていようがいなかろうが、全ての政策はそれぞれ、どこかの誰かに対して優先的に利益を与える仕組みとなっている。それに、国益という言葉で語られるのは多くの場合、経済的利益である。私腹を肥やすことが国家や個人の目的などと誰が決めたのだろうか。

 議員や報道関係者に限らず、自分とは異なる人々の立場を具体的に想像することは容易でない。このことは、一見自分勝手な理由に基づいた政治的判断を下すことを阻んでいる。例えば、先の例に挙げた私立大学職員の立場などには考えが及ばない、という大学生は数多くいるだろう。その場合、「授業料が減ることは自分や家族にとってありがたいけれども、国庫の支出を増やすのは憚られるから我慢しよう」といったような陳腐な理由に、なんとなくなびいてしまうのである。

 自分勝手な理由で政策を支持している人は、実は数多くいるのだけれども、そうした人々の存在を知らないがために、自分勝手な判断を下すことを躊躇してしまう。そしてその結果、躊躇した真面目な若者が不利益を被るという、悲劇的な状況が起きる。そこで、私がお勧めするのは、<具体的に想像できなくても、あなたとは逆の個人的利益に基づいて政策の判断をする人々が常にいることを念頭に置く>ことである。これができれば、あなたはもう立派な民主主義的市民である。 


 現代社会の一員ならば誰しも、「政治に関してよくわかっているほうが望ましい(はずだ)」くらいの意識はもっていると推測する。この義務感が前向きに作用すればよいが、実際のところはどういうわけか、政治に対する印象はすこぶる悪い。私は現在、米国イリノイ州に住んでいるが、「政治学専攻です」と言うだけで、3人に2人くらいは顔をしかめる。教育学専攻と言った場合とは真逆の反応である。だが、政治嫌いは私の身の回りに限ったことではない。日本国内でも、政治と聞いて思わず微笑んでしまう人を見たら、体調を心配してあげてよいはずだ。

 日本の大学生に話を限定すると、どうだろう。大学生が政治に接する機会は豊富にある。講義を通して政治に関する知識を得ることもあれば、様々な立場の人々との交際を通じて実際的知見を広めることもあるだろう。また、マスメディアやインターネットを利用して自ら情報収集する機会も増えると思われる。選挙権を有する年齢に達することで生じる責任感も、政治的思索を後押しすることだろう。

 しかしながら、政治に対して積極的、あるいはニュートラルな付き合い方をしている大学生は少ないように見える。政治参加の一つの指標を挙げるならば、20代の投票率は抜きん出て低い。大学生というのはもういい年齢である。政治に関わった方がよいという意識があるならば、責任感に突き動かされて向き合ったらどうかとも思うのだが、実際のところ多くの場合そのようにはなっていない。政治について大学生がもつ印象といえば、「腐敗している」「上手く機能していない」「政治が嫌いだ」「政治家が嫌いだ」「政治に関する議論が嫌いだ」「政治について話したり書いたりする人が嫌いだ」などである。だが、私のことを嫌いだと判断する前に、できればこの文章をあと2分くらいは読んでほしいと願う。そのくらいの価値はあるはずだ。

 私がこうして筆をとったのは、自分のことを社会に対して責任をもつ大人の一人だと考えているし、大人は社会を構成する他のメンバー、特に若者に語りかける手間を惜しむべきでないからである。社会についての不満や悩みがある際、多くの場合は身の回りの大人や"Google先生"が相談に乗ってくれる。ところが、こと政治に関しては、実際に不満や悩みを解決する手助けになってくれる大人は、今私たちの社会において圧倒的に足りていないと感じる。この記事では、選挙に関する話を足がかりに、現代の日本社会において市民一人ひとりがどのように政治と向き合うべきかについて述べる。教科書やマスメディアが教えてくれない、しかし政治学の国際的スタンダードに基づいた内容にしたつもりである。政治との付き合い方に困惑している大学生の助けとなることを、僭越ながら願っている。

 

 選挙で誰に投票したらいいかわからない、という相談を受けることがしばしばある。私の分析によると、この困った状況には様々な誤謬が交錯しながら働いており、根が深い。そしてこの誤謬は、選挙の際に突如として現れるものではなく、普段の社会生活に通底したものである。誤謬は主に3つある。

1)政策の判断は、国民全体の利益に基づいて下さなければならない。

2)誤った投票は避けるべきだ。

3)政治について意見をもつためには知識が必要である。

どうだろう、これまであなたは、このような意識をもってはいなかっただろうか。

 さて、こうした相談に対する、私の返答は以下である。「あなた個人がどのような政策によって利益を享受できるかを考えてください。そして、その政策を支持する立候補者や政党に投票してください」。

 このこと自体は難しくないはずだ。自分自身について少し想像力を働かせるよう促しているだけなのだから。少し練習してみよう。例えば、国立大学の授業料を減額するという結果が期待される法案があるとする。今この記事を読んでいるあなたは、この法案に賛成するだろうか。もしもあなたが国立大学に通う苦学生で、学費が安くなることを個人的利益だと考えるならば、その法案を支持する議員や政党に投票すればよい。ここでいう個人的利益とは、個人の経済的利益に限定したものではない。例えば、あなたの親族の心配や負担を減らすことがよいと思えるならば、それはあなたにとっての個人的利益である。もしもあなたの兄が、「どっちみち親が出すんだから学費なんて関係ねえや」という考えの持ち主ならば、親の心配や負担を減らすことは彼にとって個人的利益ではないということになる。

 逆に、もしもあなたが私立大学の職員で、国立大学の学費が安くなることによって私立大学の相対的競争力が低下し、志願者数が減ることを危惧するならば、その法案には反対の立場をとればよい。単純な話である。

 そして賛成、反対、どちらの立場でもなければ、「利益も不利益も受けないから、この政策について私は中立である」とはっきり言えばよいのだ。その場合、投票は別の政策についての判断に委ねることになる。

 つまり、<ものごとの優先順位は人によって異なることを直視して、あなた個人が感じること、あなた個人の社会的状況、あなた個人の経済的状況などに照らして政策の判断をしてください>ということである。

 


"『資本論』をカール・マルクスはドイツ語で書いた。その時、マルクスはロンドンに亡命してまもなく20年を迎えようとしていたのである。"
http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201007_010.pdf
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/W_trend/201007.html
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https://www.youtube.com/watch?v=QvBvBAsME3E
(埋め込みできんかった・・・アメブロのshareリンク、海外からだと表示されない。地域設定いじるのめんどくさい。)

どーもーお久しぶりです☆
暖かくても摂氏零度、寒い日は零下30度、風がふいたらまじやってらんね、そんな極寒のノーマルから久しぶりに更新します!

毎週金曜日にInternational Talk Timeというのがあるんですね。
Illinois State Universityのキャンパスのすぐそばで、誰でも参加できる。
教会系のイベントなんですけど、近所のおばちゃん達が交代で晩飯ふるまってくれるという。
で、毎週何かしら違ったことをする。季節の行事に関するものが主。

今回はcoffee house nightということで、飛び入り入れ替わり立ち替わりのアコースティック生ライブデー!ということだったので昨年に引き続き参加してきました。

昨年の教訓を生かし、今回はインスト無し!!

インストは盛り上がらないんです。

3曲目は先日教会バンドで伴奏したBon JoviのYou Give Love A Bad Nameを使い回し☆

でも途中でストラップ切れた・・・借り物なのに・・・

しかしそこはさすが教会系イベント。経費で落ちるようです。


学業についても少し。
最近は専ら米国政治。
5月の卒業に向けて計画的にやってるところ。
相変わらず没頭してます。


早く暖かくなって欲しいのと、日本が恋しい今日この頃!

とりあえず元気でやってます☆ということでした。

それではまた!
ようやく・・

つらいつらい(笑)ファイナルウィーク=学期最終週が終わり

冬休みに突入です!

でもね・・

なにするかは冬休みに入ってから考えてるのです。

それもそのはず

学期後半から最終週にかけて、無数のペーパー、試験と格闘!

さらに

Ph.D.プログラム=博士課程の出願までする始末!


まあこれは時間管理の能力にもよりますが

全然他のことに気を回す余裕無し!!


ですがそんな日々もようやく終わり、

ぼちぼち、1月12日の春学期開始まで何して過ごそうかなと考えながら

惰眠を貪っております笑


まあデフォルトで、修論やるとか、残りの博士課程出願片付けるとか、あるっちゃあるんですがね!

今日もこれからオフィス行くんですがね!


でもとりあえず

一段落なんですよーーーーー!


カリフォルニアとかフロリダとか暖かいとこに行っちゃいたい・・・