遠い過去のような 昨日のことのような おはなし。 | 東京は夜の7時~

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2011年 3月11日。
僕は福島県にいた。
実家は津波でやられ、住んでいたお寺も傾き、被害が甚大で途方に暮れていた
ところだった。

原発が爆発して放射能が降り注いだ。
幸い僕の住む街は原発の南にあり、近いながらも ほとんど放射能の被害はみられなかった。


それよりも心配だったのは僕の住む街から車で90分の離れた場所にいた彼女。
彼女の街は僕の街よりずっと原発から遠いのに 地形の影響かとんでもない放射能の数値が
計測されていて不安で不安で仕方なかったが 離れている為、何もしてあげられなかった。

彼女の家は お父さんがJR職員だったので毎日車に乗る。
でも福島県は当時 ガソリンが全く手に入らずお父さんの車は ガス欠。彼女の車で出勤するようになった。

どんどん上がって行く放射能の数値。
テレビでは 放射能から逃げる為、南に向かって避難する車の渋滞。

彼女が「もうお父さんが車に乗るからガソリンがなくなった。会えないよ。。。」

このまま放射能の数値が上がったらきっと僕らは二度と会えなくなる。。。。


その時は深夜だった。
お寺の倉庫に耕運機用のガソリンがタンクにひとつあったのだ。

それを車に積んで僕は 彼女の街を目指した。

彼女に会いたくて会いたくて。

放射能なんかに負けたくなくて。

途中の道は パニック状態。
ガス欠になった車が そこらじゅうに乗り捨てられていて
トンネルの中にまで車が止まっていた。
それでもすこしでも逃げたくて沢山の人が道路を歩いて避難していた。

彼女の家に着く。
本当に来てくれたんだ。彼女は泣く。

そして彼女のお父さんとあいさつをして 残りのガソリンをすべて渡した。
これでお父さんは 明日からまた仕事に行ける。

そして大事なことを伝えた。
娘さんをうちのお寺に避難させてください。
私が面倒を見ます。

お父さんが言う。
うちは仕事上避難するわけには行かない。
でも家族全員放射能で全滅するなら 一人だけでも生き残らせたい。
だから娘をよろしくお願いします。

2人で車に乗り、僕のお寺に向けて出発。
ずっと遠距離だった僕ら。
なかなか会えなくて仕事の後も90分かけて 会いに行ったっけ。
2時間しか会えないけど それでも会いに行ったっけ。

震災はとてつもない被害を残し、放射能も安心できなかった。
でも僕らは一緒に住める。もし放射能で死ぬことがあっても
一緒に死ねるんだ。
キザかもしれないが 当時の福島県は 本当に死と隣り合わせだった。

そんなとき 車のオーディオからこの曲が流れたんだ。






僕らは明日、生きているのかな。
本気でそんなことを考えていた。

もし死んでも一緒だから いいね。 彼女がほほ笑んだ。

僕は だまってうなずくことしかできなかった。。。。。。。





時は過ぎ 僕らは別々の道を歩いた。
泣き暮らした時期もあったし、恨んだこともあったかもしれない。
でも 今はいい過去。いい恋愛ができた。


今日は休みでのんびり一日を過ごした。
夕方ラジオでこの曲が流れ、あの時を思い出して ブログに書いています。

あの子も聴いていて 僕の事を思い出してくれたら嬉しい。

戻ってほしいとは 思わないけれどね。