走りながらみえた、私の行動パターン | どこまでもyes  yesでつなぐ私の歩む道

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ぜーんぶyes

6月になりましたね。

 

 

昨日は2ヶ月ぶりにアルバイト先に

出勤しました〜

 

 

私は休業状態でしたが

社員のみなさんは交代で出勤されていて

仕事進めてらっしゃったのでね

雰囲気は

 

 

 

休む前と変わらず

 

 

 

でした。

 

 

 

仕事の指示がきたのでお話うかがってると

 

 

「コロナコロナいうてるけど

しばらくしたらもとに戻ると思う」

 

 

 

「小さいお子さんいる人とか介護をしている人への考慮がひろがるとは思うけど、働き方まで変わるとは思えない。そう簡単には変わらないし変えられないでしょう」

 

 

 

のようなことをおっしゃっていて

 

 

 

 

あ。。。。。。あ

 

 

 

と私の意識が切れるのを感じました。

 

 

 

”当たり前”がかわること。

 

 

 

ガラリと突然変わるわけでもなく

目の前のことに集中していると

あれ、景色変わってる、みたいな

気づかないくらいの変化だけど振り返ると大きな変化をしていた

ってことあると思うんだけどね

変わらない、と断言されるのでちょっと驚いたな

 

 

 

(あー、そろそろかな、なんて)

 

 

 

 

前置き長すぎました。

 

 

 

今日は走っている途中にふと気づいたお話。

 

 

 

久しぶりにランニングをした先週末。

 

 

 

7.68kmも走れて嬉しかったんだけど。

そんな距離走ったの、生まれて初めてだったので♡

 

 

 

 

マラソン大嫌いだったからね。

冬の寒い時に学校の授業であった持久走。

耳痛いし、口の中が血の味してくるし

脇腹痛くなるし、で

ほんといやだった。

 

 

 

今回は

そんなこと全然なかったけどね。

自分のペースで気の向くままに走れるというのと

体動かしたい、という気持ちだったからというのが

あるんだろうな

 

 

 

 

その「ペース」のことで

いろいろ思うことがあったのね

 

 

 

 

(言語化できるかな)

 

 

 

 

スタートしたときは

5kmくらい走ろうかなと思っていたのね

 

 

 

何年か前に走った時は

とてつもなく辛かった5km

 

 

 

いきなりとばしていたらもたない、と思っておさえながらスタート

 

 

 

 

ちょっときつくなってくるとスピードゆるめる。

ちょっと歩く。

そしてまた走り出す

 

 

 

そんなのを繰り返してたら

 

 

 

 

その

「ほどほどに」なるような加減をしてんじゃねーか??って思い始めたのです。

 

 

 

 

ストップするのもいや

途中でやめるのいや

止まらないように歩いて

まだちょっと余裕があるくらいまでペースあげて

またゆるめて

 

 

 

で、終盤に家に向かおうとしたときに

「いや、まだいけるかな」とちょっと距離を伸ばすために遠回り。

 

 

 

 

そして、いつもの道にさしかかり、

家までの距離がだいたいわかったところで

たぶん、残り200mくらいかな

その辺りからスパート

といってもあと1センチほど余裕残ってるくらいのスパート

 

 

 

 

それがわかるのがこのスプリット

 

 

image

 

 

 

みごとに最後だけペース上がってる笑

 

 

 

 

マラソンのランナーさんもそうだよね

最後ゴールの会場まで戻って最後の1周とかすごいペースあげるもんね

 

 

 

 

こんなこと考えていたら

限界までいこうとしない私

に気づいたのです

 

 

 

 

トレーニング通いだして

トレーナーさんの声かけでメニューこなす時

「10回いきましょう」

といわれたら

7回、8回くらいで10回目までの力配分考えてる

 

 

 

そしたら10回目やってるときに

「まだいけますね、あと2回」

ってプラスになって驚愕してがんばる

油断してたからちょーキツい笑

 

 

だけど

ここまで、と思っていたところが最後じゃなくて

先があるんだ、と教えてくれた出来事だったんですよね

 

 

 

 

でペース配分の話

 

 

 

走るペースもそんな感じで、倒れ込むほど追い込まない、ちょっと、ちょっと余力を残す感じ、だけどある程度の「達成感」は感じられるくらいの塩梅に落ち着くくらいに落とし所をもっていってた私、に気づいたら

 

 

 

 

他もそうだった。

 

 

 

 

夏休みの宿題も

遊びまくって最後の日に済ませるとか

やらないでスルーするとか

始まりの数日で終わらすとか

そういう極端なことはなく

 

 

 

はじめはちょこちょこやって

途中やらなくなって

あと2〜3日残すあたりで終わるようにしてたり

 

 

 

 

仕事も勉強も

締め切りやテストという「納期」があるからそこをめざして「調整」する。

 

 

 

そこ「終わり」「ゴール」にして到達すればOK、みたいな感じかな。

 

 

 

通過点ではなく終わり。

 

 

 

通過点だとしたら同じペースで駆け抜けたらいいだけなのに、終わっていい、と安心してやめちゃう、みたいなね。

 

 

 

 

だとしたらですよ。

 

 

 

恐ろしいことに気づいてしまったのです。

 

 

 

 

私は父が肺癌になり、肝臓に転移して亡くなるというのをみているのもあり、自分が死ぬなら「ガン」がいい、と思っていたのですよ。

 

 

 

それはなぜか。

 

 

 

死ぬまでの「心の準備」ができるから。

 

 

 

 

ガン=死

と考えているんでしょうね、「死」が目の前にやってくる、「終わり」があるんだとわかりやすく宣告されるのが「ガン」だと思っていたんです。

 

 

 

 

だからそこまでの残された時間

「締め切り」「納期」までの時間をいかに過ごすか、という考えのもとに少しペースをあげてだけどやり尽くすまでのところはなくほどほどに幸せだったと「死」を迎えることになるんじゃないか、と。

 

 

 

そして「終わり」「ゴール」が見えていないと頑張れない、と思ってる。

 

 

 

じゃ元気で健康に楽しく暮らしている「今」ってどんな気持ちで過ごしてるんだろう、ってふと思ったら。

 

 

 

ただただ淡々と続く毎日に「ゴール」や「終わり」がないと思っているので、

 

 

 

すげー余力ありまくりの日々

 

 

 

ていうか

力出そうとも思ってない日々

 

 

 

 

を過ごしてんのかなって白目になりました。

 

 

 

 

いやーーーだーーーーーーー!!!!

 

 

 

 

そんなのいやだーーーー!!!

 

 

 

 

 

 

 

いやなら、どうする?

 

 

 

 

まずはそうやって過ごしてきた自分を受け入れる。

それしか知らなかった私。

それでも十分幸せで楽しかった私。

だけどもっと欲張りたい私もいること。

全部みとめる。

 

 

 

このままでいい?

いつ死ぬかなんてわかんない、あとどれだけのパワーもってるかわかんないまま死んでもいい?

全力じゃないことだけは確かっぽい。

今、これが全力なのだとする?

いや、しない。

だったらどうする?

 

 

 

まずはランニングのペースを前よりすこしあげる

トレーニングの時は「もう無理」から頑張る

 

 

 

これかな。

運動やん笑

 

 

 

できる私を積み重ねていく。

もうこれしかないよなぁ。

 

 

 

 

そこそこできるのもいいんだけどさー

もっと出したいよなって思ったよ。

 

 

 

 

いろんなことに当てはまるよなぁ

 

 

 

欲しいものを我慢してたものも、欲しいなら「欲しい」を出すことも

 

 

 

いやだけど、まいっか、って我慢してやってたことも「やらない」と決めることも

 

 

 

あれもこれも、手前で止めないことだ。

 

 

自分で限界や終わりを決めないこと。

 

 

 

自分の気持ちに忠実になること。

魂の声をきくというか。

 

 

 

そんなことをまたやっていこうと思わせてくれたランニングでした。

 

 

 

 

ランニングで脂肪と一緒に筋肉落としすぎないように、私はまだ週2回くらいまでのペースでいいそうです♪筋肉痛が落ち着いてきたので今晩あたり走ろうかな。