昨日こんな記事を書きましたが、
終わりのところで、
魅力があっても無くても、
やること変わらないな、って思ったんですけど
やること変わらないなら、
魅力があるってことでいいな💕と思いました(笑)
そのうち存在も忘れると思う😊
で、
価値も同じ話だなと思っていて、
価値なんてあっても無くても変わらないんですよね。
あると思っていても、無いと思っていても、
今の状態で自分が存在しているという事実は変わらない。
(ある・無しというより、何も思わない・無しの区分だよね)
し、
そこから希望の方向に進みたい、となった時に、
必要とされる行動も、変わらない。
自分ビジネスしたい、誰かとつながりたいってなった時に、
人に知ってもらうためにブログ書いたり、
人と会ったり、SNS投稿したりすることは
価値の有る無し関係なく必要。
今私、髪を巻いてみようとしてるんですけど、
巻けるようになるために価値の有る無しとか、魅力の有る無しとか
何も関係無いですよね。
練習すればいいじゃんって思うでしょう?
やってみるのが必要なだけ。
ただ、
その行動に得手不得手はあるだろうから、
そこは考える必要があるけど、
それは何も価値とか、魅力とか、そういう曖昧なものの話じゃない。
多分私は、魅力の有る無しとか価値の有る無しで
必要な行動に差が出来ると思ってたんだよね。
魅力的だったら、
自分から動かなくても声がかかって、
しんどいことしなくて済む。
何なら失敗も少なくて済む。
みたいな。
だから魅力が有るか無いかということに反応してた。
けど、そうなるためには、
どっちにしろその前段階が必要で。
結局自分から動いていく必要がある。
経験を積み重ねる必要がある。
更に言えば、
声がかかるようになったところで、
それに応じているだけでは理想の人生にはならない。
自分の理想が分かるのは自分だけだから。
なんてことを考えていたら、
じゃあ、この「私には魅力が無い。価値が無い。」等の言葉って何だろう?
何のメリットがあって思うんだろう?
って疑問がわいてきてね。
(脳の生存本能だということは分かってるけど、それでも問うよ🙌)
どうせ同じように行動しなきゃならないなら、
そういう言葉達って、
自分が気分悪くなる以外の意味無いじゃないですか…
そこに来てようやっと、
ああ…本当に、頭の声って
自分を足止めする以外の意味無いんだなぁ…
って思った。
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