中学生時代の家庭科の授業の事です。

パジャマを作ることになっていましたが、

そもそも何処で生地を売っているかも分かりません。


当時50代位の家庭科教諭はボソボソと工程を読み上げるだけです。

40人の女子がいるのにミシンは5台だけ。


しかし、翌週には殆どの女子が綺麗にパジャマを仕上げてきます。

電動ミシンが流行り始めた頃でしたし、子供の宿題を親がやってくれていたのでしょう。


私の家にはミシンなど……


ありました。祖母が使う鉛のような重い足踏みミシンです。

足もろくに届かないけど、何とかパジャマを作り続けていました。


ところがもう家庭科授業ではパジャマのお披露目会が始まっていて

私はブチ切れました。


家庭科教諭に

「いつも同じ人がミシンを占領している」

「私は電動ミシンがないけれど頑張って一人で作っています」


的なことを訴えたけど


ふうーーん、みたいな返しをされて

思わず教室を飛び出しました。

追いかけてくる友人も巻き込みながら。


そして何かの本能か、用務員室に駆け込んだのです。

用務員のおばちゃんにすがり付き、わんわん泣いて事情を話しました。


「分かった。私が仕上げてあげる」

とおばちゃんはパジャマを持ち帰ったのです。


今思えば、私もおばちゃんも即刻クビになりそうな案件です。


私は担任の男性教諭に呼ばれました。

ビンタかな、定規で尻打ちかなと覚悟していました。

そんな時代でしたので。


事情を話すと担任教諭は

「教室から勝手に出たらいかんぞ」

とだけ言い、特にお咎めもありませんでした。


そしてここからが奇跡です。


用務員のおばちゃん家に、夕食に呼ばれたのですが

おばちゃんの若い頃のアルバムをめくっているうちに


えっ??

えーっっ?


何とおばちゃんの結婚式の写真の後方に、私の父親が写っているのです。


そう、おばちゃんは遠い親戚だったのです。

でもお互いそんな事は知らずに起きたパジャマ事件なのでした。


おばちゃんとは中学を卒業するまで、食事をしたり近くの海を見たりして過ごしました。


一人息子が都会に出て寂しいのよ、とも言っていたような。


高校生になってからは、おばちゃんを訪ねる機会も減りました。

でも、息子さんに子供ができた事も知り 幸せに暮らしているのだと思っています。


不公平な授業を放棄し、用務員のおばちゃんが助けてくれた。

そして、ガミガミ担任が何も責めなかった。


全てが当たり前のようで、奇跡です。