
私は父子家庭で育ちました。
と言っても姉がいて、祖母もいて、親戚も頻繁に来てくれていたので
母親という存在そのものを知らず、スクスクと育ったのです。
少しでも母親の記憶を持つ姉の方が辛かったかも知れません。
小学生時代、中学生時代、高校生時代に起きた父子家庭アルアル?な事件簿を書いてみたいと思います。
まず小学生時代。
桃農家をしていた祖母の手伝いをする優しい私は、例え1個ぐらい桃を盗み食いしても怒られない少女でした。コラ!
ある時、給食当番の服を返す時にアイロンがかかっていない事に気づきエプロンを返せなかったのです。
今でもはっきり覚えている、9番のエプロンです。
みんなのエプロンはきっちりアイロンがかけられている。
私のは洗っただけでグシャグシャ。
恥ずかしくて返却できなかったのです。
すると、私が犯人だと知る担任の女性教諭は毎日毎日泳げたい焼きくんのように
朝のホームルームでこう言うのです。
「はーい。誰が犯人ですか?みんな困ってますよ」
私は苦しくて苦しくて、うつむいたままじっとしていました。
しかし、このままではいけない。
他の人にも迷惑をかけている。
そして、作文を書きました。
お母さんがいなくてアイロンがかけられなかったこと、悪いと思っていたけどすぐに皆に言えなくてごめんなさいと
それを、先生が来る前のザワザワしている時間に一人起立して読み上げたのです。
クラスメートはシーンとしていました。
そして、担任の先生が来て、いつものように
「さあ、エプロンは誰が…」と言い始めた時
ある1人の男子が
「先生、その問題は解決しました。」と言ったのです。
その男子は、中学からはインターナショナルに転校する生徒で
もしかしたらこの無駄な時間を何とか終わらせようとしていただけかもしれません。
それか、私をかばってくれたのかも。
他の生徒もそれに同調し、
その日以降、エプロン問題は終了しました。
しかし、その女性教諭は私が小学校を卒業するまで私を無視し続けました。
挨拶しても無視。
余程その時に屈辱を感じていたのかもしれません。
たかがアイロンで、なんて思われるかもしれませんが子供にとっては大変な問題だったのです。
勇気を出して皆に伝えた事、理解してくれたクラスメートに感謝しています。
私は、あの時 先生になぜ真っ先に相談しなかったのだろうと思いましたが
この人はいつも旦那さんや子供自慢をしている人だったので子供ながらに相談すべき相手ではないと判断したのだと思います。
アイロンがかけられない家なんてありえないわ、という匂いがプンプンしていたので
相談できなかったのだと思います。
後日、父と謝りに行きましたが。
現代ではアイロンいらずの洗剤や衣類が増えているので
苦いけれど懐かしい思い出です。