母は私が7歳の時に出ていった。
姉と私は、出ていくその日まで母を思いやっていた。
「 私たち、大丈夫だよ」と母に伝えていた。
子供なので、父が悪いとか母が悪いとか良く分かりもせず、どちらの言い分にもうなづいていたのだ。
父は良く働くが、金遣いが荒かったようだし
母はお嬢様育ちで家事が出来ない。
そんな昭和のありがちな悲劇だったのかもしれない。
理想とはかけ離れた結婚生活。
姉が産まれ、ついでに私も産まれたのだ。
ついでに、というのは本当なのだ。
親戚や近所の人に助けてもらいながら不自由なく育ったと思う。
担任教師が食材を買ってきてくれた日もある。
受験の送り迎えも学校がしてくれた。
だけど、家庭科の授業では遅れをとった。
家にママがいて、ミシンがある子が有利だったし家庭科の先生もそれを良しとしていたから。
ママもいない、ミシンもない私はその教室から無言で抜け出して管理人室に飛び込んだ。
つづく。