私はかつて直接人の最後のお見送りを行い、終活に関するご相談、高齢者の家族や親戚のご相談を受けていると、人生に関する事柄を深く考えされられる機会が多くあります。
その経験があるので色々と考えてしまいますが、
「自然と人生が変わっていくと考える人」は、思った以上に多いのではないかと感じることが多くなりました。
そもそも人生は自然と変わっていくものなのでしょうか?
物事を進めるのに「自然な形で」という人が多い。
「自然な形で事が進めていけたら」などと口にする人が多いのではないかと僕は感じる。
仕事や恋愛で、
「自然な形で転職やキャリアアップできれば…」
「自然な形で異性とお付き合いができれば…」
「自然な形で結婚できれば…」
疑問なのですが、そもそも「自然な形」とは何を持って自然なのでしょうか?
「やりたい仕事・お付き合いしたい女性・結婚」などが
自然と手に入るのでしょうか?
色々な方にその質問をぶつけてみたが、明確な答えが返ってくる人は本当に少ない。
そもそも「自然な形で生きている人など本当はいないのではないだろうか」
人はみんな考えを持って生きているはず。個性があるはず。
例えば「足が勝手に歩き出す」という人はいない。
「歩くという意思があるから歩く」
こんな仕事をしたい。
こんな異性とお付き合いしたい。
結婚はいつまでにしたい、どこでする。
明確な「意思と行動」があるからこそ、生き方が変わるのではないのだろうか?
持論:「自然な形」の正体とは?
「自然な形」と何度も口にする人は「どんな状況を自然な形」というのであろうか?
人によってはこれを「タイミング」という人も多い。しかし、このタイミングというものは、持論であるが「非常にやっかいなもの」であると思っている。
特に仕事をしていると、取引先やお客様がこちらのタイミングに合わせて話をしてくれることはまずありえない。基本的に臨機応変さが必要。
プライベートでは、タイミングを確かに考えなければならない状況もある。
しかし、大抵の場合は「先送りにしているだけ」か「そもそも考えがない」
私は多くの人の最後を見送ってきたからなのか、「この人は時間を費やしているだけだな」と思う人も多い。
「明日明後日を生きたかった人たち」を見送ってきたからこそ、余計に感じてしまうかもしれない。
人は昼ごはんを食べるにしても「何を食べるのか選択している」
人生全て、「小さなことでも選択であり、自然な形という言葉はない」と思っている。
今までと同じ通りに暮らしていて、劇的に人生が変わるわけがない
生きている人ほぼ全員が「幸せになりたい」と思っているのではないだろうか?
不幸になりたい人などいないと思う。
しかし幸せになるための「考えと行動がない」人が多い。
いつもと同じ行動をしていて、劇的に人生が変わるわけがない。
なぜなら「いつもと同じ行動しか」していないのだから。
大人になれば、自己責任である。
アドバイスをもらったとしても、行動するのは全て自分自身であり、文句は言えない。
どの人も羽交い締めにして、仕事や恋愛などを強制されている環境ではないはずだから、行動ができるはず。
新しく行動をするのは怖いと思う。
しかし、
現状に文句を言って「幸せになりたいとだけ言っても何も始まらない」
僕もかつて、落ちるところまで落ちた。
人になんでも決めてもらうと後悔することもわかった。
だからこそ、自分で決めて進んで行こうと思えるようになった。
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