1965年(昭和40年) 私は田舎の小庵(寺)の長子として生を受けました。

 

生まれつき体が弱く、小学生のあいだは少し走っただけで呼吸困難(チアノーゼ)をおこす「小児喘息」の子供でした・・・

 

その頃はとても貧しく、雨が降ると金盥を持って家じゅうを走り周り(雨漏りがするので)、接ぎのあたったズボンで学校に通いましたが決して恥ずかしいとは思いませんでした(この国は高度成長をしたとはいえ、そのような子は学年に2~3人いたように思います)

 

まして田舎において犬を飼っている家は少なく、犬の飼える家は俗にいう「裕福な」家でした

 

そんなある日、3歳年下の妹が「お兄ちゃん!真っ白な可愛い野良犬が近所に居るよ!!」

 

子犬を想像していたのですが・・・その姿はとても凛々しく、雪のような真っ白な姿は子供ながらに衝撃的でした・・・(でも、よく見ると首輪が・・・)

 

実は野良犬ではなく、町内にある肉屋の犬だったのです(今では考えられませんが、あの頃は放し飼いの家がありました)

 

世間体と気位だけは高い父はとても厳しい人でしたが、娘に懇願されると早速 肉屋さんにお願いをし、三日後その犬は我が家にやって来ました

 

その名は シロ !!

 

胸の左右にはつむじ(渦)があり、尻尾は丸く円を描き、まるで紀州犬のようでした (本当は柴犬と日本スピッツのハーフ)

 

 

前述しました通り うちは貧しかったのでエサと言えば、残りご飯に味噌汁をぶっかけて魚のアラやすじ肉を入れたご飯でしたが いつもおいしそうに食べていました (お肉が食べたいときは鎖を引きちぎり勝手に里帰りをしました)

 

その年の冬、深々と雪が降る夜に再び脱走をしたのです

 

行くところはわかっています(実家の肉屋)

 

北風が吹く中、父と迎えに行きましたが、肉屋にはいません・・・

 

ふと見ると遥か先にしっぽをさげて とぼとぼ歩く犬の姿が・・・

 

シロだ!!!

 

しっぽをさげてうなだれている姿はいつものシロではありません(あの頃は野犬の群れが多くおり、虐められたのでしょう)

 

「シロ!!おうちに帰ろう」と言って首輪を掴んだ瞬間! 左手に激痛が・・・・・・・・・シロが噛んだのです

 

雪は真っ赤に染まり、血はドクドクと出てきます

 

すぐに救急病院で手当てをしてもらいましたが・・・わたしは泣きっぱなしです

 

痛いから泣いたのではないです 大好きなシロに噛まれた事が辛かったのです

 

父は大激怒し、「飼い主に噛む犬は保健所に連れて行って処分をしてもらう!」

(日々子供に躾という虐待をしていても、自分の獲物がやられると腹が立ったのでしょう!  ペットもいっしょですね)

 

翌日、肉屋さんに連れられてきたシロは 体を小さく丸め、耳をさげ、、うなだれていました

(たぶん自分のしたことと今後どうなるのかをわかっていたのです)

 

父が保健所へ連れて行こうとしたとき私はシロに駆け寄り

「シロ!なんで・なんで噛んだんや!!」

「お父さん!シロを保健所につて行かないで!!」 (あの時 初めて父に反発をしました)

 

その時から私とシロは本当の家族となりました

 

 親に叱られ、鐘楼堂でシロを抱きしめながら泣いた日

 「お前なんか出ていけ!」「死んでしまえ!!」と言われ、鍵をかけられ追い出された日

(親は子供に絶対に言ってはならない事!!! いづれブログにUPします)

 

いつも私を見守り、慰めてくれたのです

 

 

私は19歳の春に交通事故の遭い、大学病院で2年間入院生活をしました(ちぎれかかった右膝を繋げる手術)

 

その年の7月 シロはフェラリアにかかりました

(毎年狂犬病の予防接種はしていまいたが、混合ワクチンやフェラリアの薬は飲ませていませんでした・・・それは私の知恵が足りなかっただけではなく、いのちを背負う覚悟がなかっのです)

 

病院へ連れて行ったときは既に末期で、余命わずかとのこと・・・

 

翌日、外出許可をもらいタクシーで家に帰るとシロが居ません

 

鐘楼堂の奥から這い出してきたシロは伏せをしたまま私をうるうるな眼でじっと見上げ、「キャン!!!」とひとことを発し 喀血して亡くなりました・・・その間 わずか3分位でしたが、それはまるで私を待っていたかの様に(いや、待っていてくれたのです)

 

「もう犬は飼わない!飼えない!!」

 

と思いましたが、「いや違う!」と言うことがやっと解ったのです(本当の答えはまだ出ていませんが・・・)

 

 

時には 後悔という闇に落ちたり、深い悲しみの淵に沈む事もあるでしょう

 

もし、その子にしてあげたかったことがあれば身近にいる子や新しく迎えた子にしてあげれは良いのだと・・・

 

 

今日もシロが残していった左手の傷を見ながら、この文を書いています。