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仏教と宗教と『歎異抄』

 仏教が始まってから今までの歴史を見て行きますと、釈尊(しゃくそん)親鸞(しんらん)には、教学的にも教団的にも似ている点が多くあります。私なりに少し考えてみますと、釈尊も親鸞も(しん)(ぎょう)を最も重要なものとしています。釈尊は(ほう)(ダルマ)や真理を信じて、精神統一や禅定(ぜんじょう)などの修行をしました。そして親鸞は阿弥陀仏(あみだぶつ)本願(ほんがん)を信じ念仏(ねんぶつ)という行を修しました。よくよく考えれば、釈尊も親鸞もプロセスは違っても、涅槃(ねはん)を求める一人の求道者(ぐどうしゃ)であるということに変わりはありません。

 釈尊と親鸞が似ている点はもう一つあります。それは同じ(さと)りを目指す仲間を大切にした、ということです。釈尊の言葉を記したとされる原始仏典などを見ていますと「良い友を作り、悪い友とは縁を切れ」ですとか、「良い友と助け合え」などの言葉がたくさん出てきます。一方親鸞を見てみますと、親鸞の書いた手紙には念仏の同志であるという「御同行(おんどうぎょう)御同朋(おんどうほう)」という文字が良く目につきます。

 このように釈尊も親鸞も師、弟子という関係を越えて、一緒に涅槃を目指すという仲間がいることが分かります。しかし仏教全般を見た時に、仲間関係という後者はなくても、信と行を大切にするという前者の姿は仏教の宗派ならばほとんどが当てはまっているのではないでしょうか。

 日本の仏教は現在多くの宗派が存在します。しかしよくよく考えてみれば今あるほとんどのお経は、釈尊が説いたものです。つまり私たちは真言宗、日蓮宗、浄土宗と宗派は違っても仏弟子(ぶつでし)であることに変わりはありません。また悟り、覚り、信心(しんじん)という異なる表現を使っています。しかし涅槃に到るまでのプロセスは例え違っているにしても私たち仏教徒が目指すものは、実は同じなのではないでしょうか。

 この『歎異抄』は現在、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)の聖典です。その内容は仏教界・宗教界の本質が書かれています。私はこの『歎異抄』は全ての宗派、全ての仏教とシンクロし共感することができ、全ての宗教を代表した信仰の本であるといっても過言ではないと思います。まさに『歎異抄』は宗教の根幹に位置する代表選手の一人なのです。だから他の宗派や宗教全般を研究している人も『歎異抄』を学んでいけば、後々の大きな飛躍になるであろうと思います。そういう訳で、どうぞ皆さんも『歎異抄』を一回読んでみてください。