歎異抄に眠れ(第十一章 その⑤) | fundarikeのブログ

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ふんだりけは白い睡蓮。
仏の道を求め、信心を決定した
妙好人のことを指して言います。
親鸞聖人の教えを
『歎異抄』から聞いていきましょう。

もう一つの消息

 

 次の消息は『末灯鈔』十二通目の有(ゆう)阿弥陀仏(あみだぶつ)への消息です。

 

「信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ」

 

「詮(せん)ずるところ、名号をとなふとも、他力本願を信ぜさらんは辺地(へんぢ)に生まるべし」

 

と記しているように、第十一章と構成が非常に良く似ています。

 

 有阿弥陀仏は『門侶交名牒』や『太祖聖人(たいそしょうにん)面受口決(めんじゅくけつ)交名記(きょうみょうき)』という弟子の一覧には名前が記載されていません。

 

阿弥という名前は、平安時代の終わりから見られる阿弥陀仏を信仰する人々が用いた法名の一つです。

 

正式には阿弥陀仏号といいますが、略称して、阿弥や阿という法号を使ったりもしました。

 

時宗の一遍の後継者の他阿弥陀仏や、観阿弥、世阿弥のような猿楽師にも見られます。

 

 詳しい事は分かりませんが『西念寺系図』によれば、西念寺には笠間城主の笠間時朝の法名が有阿と伝わっています。

 

このことから笠間時朝が有阿弥陀仏と名乗っていたと考えられます。

 

 したがって親鸞の関東での拠点であった笠間周辺には、教名房や有阿弥陀仏への消息が示すように誓願と名号の異義が広まっていたようです。

 

 唯円はこれを背景として第十一章を書いたと思われます。