歎異抄に眠れ(第十章 その⑥) | fundarikeのブログ

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ふんだりけは白い睡蓮。
仏の道を求め、信心を決定した
妙好人のことを指して言います。
親鸞聖人の教えを
『歎異抄』から聞いていきましょう。

無義の義と自然法爾

 

 「義なきを義とす」ということは自然法(じねんほう)爾(に)と一緒に語られます。

 

自然法爾とは「他のはからいをなくしておのずから法としてしからしむ」ということで、自らのはからいを全くなくしてしまうということです。

 

しかしながら自らのはからいをなくすということはとても難しく大変なことです。

 

 たとえば子ども達が学校などでよくやる伝言ゲーム。

 

右隣で聞いたことを、左隣にそのまま言えば良いのですから難しいことなど何一つありません。

 

しかし一人一人のはからいが少しずつ混じりあって、正解からどんどん離れていきます。

 

それが伝言ゲームのおもしろさです。

 

 真如という言葉の本来の意味はあるがままです。

 

しかしこのあるがままが難しい。

 

はからいを捨てて、本来の人間としてあるがままにあること。

 

それが釈尊の仏道であり、親鸞の自然法爾です。