真剣 (ルカ 4章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

いくら金積んで神の御用さして呉れい
と申しても、因縁のある臣民でない
と御用出来んぞ

御用する人は、何んなに苦しくても
心は勇む

この神は小さい病直しや按摩の真似
させんぞ、大き病を直すのぞ

神が開くから、人の考へで人を
引張って呉れるなよ







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あなたがたは、きっと

医者よ、自分自身をいやせ

ということわざを引いて、カペナウムで
行われたと聞いていた事をあなたの郷里
のこの地でもしてくれ、と言うであろう

それから言われた

よく言っておく

預言者は、自分の郷里では
歓迎されないものである

よく聞いておきなさい

エリヤの時代に、三年六か月にわたって
天が閉じ、イスラエル全土に大飢饉が
あった際、そこには多くのやもめがいたのに
エリヤはそのうちのだれにも遣わされないで
ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめ
だけ遣わされた

また預言者エリシャの時代に
イスラエルには多くのらい病人がいた
のに、そのうちのひとりも清められないで
ただシリヤのナアマンだけが清められた













神様に差別はありませんが
区別はあります


順番はあります


望めば、だれでも預言者になれる
わけではありません


御用ができるわけではありません


すぐの助けが得られるわけではありません


人から見て、落ちぶれた民であっても
神様からは、どのように見えているのか
わかりません


口では神様を否定していても
本音はわかりません


逆に、神様、神様と叫んでも
実際には、神様の御心から遠く離れている
場合もあります


ナザレの地の会堂で、イエス様の言葉を
聞いた人たちが憤慨して、イエス様を丘
から、突き落とそうとしましたが
その行いが、イエス様の言葉の正しさの
あかしです


本音は、歓迎していないのです


疑っているのです


軽く見ているから、すぐに怒るのです


大事は、選ばれないからしない、遠いから
しない、ではなく、心にイエス様を持つ
ことです


イエス様に耳や目を向けることです


それは、好奇の眼差しではありません


真剣さです


行いは、行いに返るのです


イエス様を歓迎し、大切にすれば
それは自分にも返るのです


よくよくの理解、大切です



イエス様の御心のままになりますように


本日は以上となります
ありがとうございました