せい (マタイ 8章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

神がこの世にあるならば、こんな乱れた世
にはせぬ筈ぞと申す者 沢山あるが、神には
人のいふ善も悪もないものぞ

よく心に考へて見よ

何もかも分りて来るぞ

表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが

一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば分らん
ことになるぞ

神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ

そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐる
屈のない世に、神の世にして見せるぞ

言挙げせぬ国とはその事ぞ

理屈は外国のやり方、神の臣民言挙げずに
理屈なくして何もかも分かるぞ






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どうぞよろしくお願いします




悪霊につかれたふたりの者が
墓場から出てきてイエスに出会った

彼らは手に負えない乱暴者で
だれもその辺の道を通ることが
できないほどであった

すると突然、彼らは叫んで言った

神の子よ、あなたはわたしどもと
なんの係わりがあるのです

まだその時ではないのに、ここにきて、
わたしどもを苦しめるのですか

さて、そこからはるか離れた所に
おびただしい豚の群れが飼ってあった

悪霊どもはイエスに願って言った

もしわたしどもを追い出されるのなら
あの豚の群れの中につかわして下さい

そこで、イエスが「行け」と言われると
彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ

すると、その群れ全体が、がけから
海へなだれを打って駆け下り、水の中で
死んでしまった












悪霊たちは、自分たちは被害者だと
思っています


自分たちは、神様やイエス様に
苦しめられていると感じているからです


自分たちの境遇は、神様やイエス様の
せいだと思っているからです


彼らは、自分たちのことばかりです


自分たちの訴えしか叫びません


憑かれた人のことなど考えもしません


相手のことなど、気にしないのです


身勝手なのです


我善しなのです


そこに、問題があります


そして、人にも悪霊の性分があります


気づきは大事です


気づいた後に、どう考え、どう行うかで
その先が決まるからです



イエス様の御名が崇められますように


本日は以上となります
ありがとうございました