何クソ (ヨハネ第一手紙 2章_六巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

何事に向っても先づ感謝せよ

ありがたいと思へ

始はマネごとでもよいぞ

結構と思へ

幸いと思へ

そこに神の力 加はるぞ

道は感謝からぞ

不足申せば不足うつるぞ

心のままとくどう申してあろうが

病気でないと思へ

弥栄と思へ

病治るモト生れるぞ

がもとぞ






ご訪問頂きありがとうございます
どうぞよろしくお願いします





わたしたちがイエス・キリストの戒めを
守るならば、それによって彼を知っている
ことを悟るのである

彼を知っている、と言いながら
その戒めを守らない者は、偽り者であって
真理はその人のうちにない

しかし、彼の御言を守る者があれば
その人のうちに、神のが真に全う
されるのである

それによって、わたしたちが彼にある
ことを知るのである

彼におる、と言う者は、彼が歩かれた
ように、その人自身も歩くべきである


愛する者たちよ

わたしがあなたがたに書きおくるのは
新しい戒めではなく、あなたがたが
初めから受けていた古い戒めである

その古い戒めとは、あなたがたがすでに
聞いた御言である

しかも、新しい戒めを、あなたがたに
書き送るのである

そして、それは、彼にとってもあなた方に
とっても、真理なのである

なぜなら、闇は過ぎ去り、真の光が
すでに輝いているからである

光の中にいる、と言いながら、その兄弟を
憎む者は、今なお、の中にいる
のである

兄弟を愛する者は、光におるのであって
つまずくことはない

兄弟を憎む者は、闇の中におり、闇の中を
歩くのであって、自分ではどこへ行くのか
わからない

闇が彼の目を見えなくしたからである











イエス様の御言を聞いても、すぐに
実践できるわけではありません


イエス様の戒めである「愛せよ」に
立ち返るわけではありません


イエス様の下に集まる人たちの多くは
この世で満たされていないのです


迷える羊です


落ちぶれた民です


叫び、喘いでいる人たちです


だから、心に不満があるのです


苦しみがあるのです


余裕がないのです


愛するよりも、愛されたいのです


認められたいのです


感謝されたいのです


褒められたいのです


だから、すぐの助けがないと
別の道を探しに行くのです


はじめから恵まれた人たちが
すぐに実を結んでも、だれの驚き
にもならないのです


つまづき、落ちぶれ、見捨てられた
人たちが、苦労の果てに、実を結ぶ
から歓喜が生まれるのです


地に落ちた枝葉が、再び樹木に戻る
から驚嘆するのです


落ちている人たちには、大事なお役
あるのです


結構が、弥栄になるのです


何事も何クソという気持ちが大切です



イエス様の御心のままに


本日は以上となります
ありがとうございました