そなたは神の中にゐるのであるから
いくらあばれ廻っても神の外には出られん
死んでも神の中にゐるのであるぞ
思ふさまやりて見て、早う得心改心
いたされよ
改心して仕事嘉言と仕へまつれよ
そなたは自分は悪くないが周囲が
よくないのだ、自分は正しい信仰を
してゐるのだから、家族も知友も
反対する理由はない
自分は正しいが他が正しくない
のだから正しくない方が正しい方へ
従って来るべきだと申しているが
内にあるから外から近よるのだと
申してあろうが
よく聞きなされ
打たれるようなものを
そなたがもってゐるからこそ
打たれる結果となるのぢゃ
まことに磨けたら、まことに相手を
愛してゐたならば、打たれるような
雰囲気は生れないのであるぞ
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わたしは本当のことをあなたがたに言うが
わたしが去って行くことは、あなた方の益
になるのだ
わたしが去って行かなければ、あなた方の
ところに助け主はこないであろう
もし行けば、それをあなた方に遣わそう
それがきたら、罪と義と裁きとについて
世の人の目を開くであろう
罪についてと言ったのは、彼らがわたしを
信じないからである
義についてと言ったのは、わたしが
父のみもとに行き、あなた方は
もはやわたしを見なくなるからである
裁きについてと言ったのは、この世の君が
裁かれるからである
イエス様には、目を開ける力があります
イエス様には、目を閉じる力があります
イエス様は、神様からすべての権威を
授かっているからです
イエス様を信じれば、裁きはありません
信じれば、自分が罪人だと気づき、
自分から イエス様に頭を下げるからです
イエス様に、あわれみを乞うからです
それを見て、イエス様は許すからです
逆に、イエス様を信じなければ
裁きはあります
自分で、自分を裁くからです
むしろ、信じないことが裁きになります
許しの神様が見えないからです
傲慢がそうさせるのです
我善しが強すぎて、そうなるのです
だからこそ、この世の君は裁かれるのです
自らを、正しい存在と主張するからです
イエス様 日ごとの御言をお与えください
本日は以上となります
ありがとうございました