木を見ると、そこには炎があって、泣いている人の顔のようだった。そのことを、近くの人に話す。「イビツな夜がやってきたんだよ。太陽の恵みが圧倒的な幸せを運んでくれた。だから、みんな死んでいくんだろう?」近くの人は何らかの言語を喋っている。おおよその意味は、わかる。だって同じ生き物だから。(ほうほう。君のクマさんはやはり大きな胃袋を持っているそうだな。わかるよ。それが甘い蜂蜜をとるものなのだから)どうやら暗黒ベアーに関心があるようだ。気づくと近くの人は蜂の数ほどに増減を繰り返している。お尻の穴から液体が出る。近くの人たちは盛んに語りだす。およそ、奇妙な光景だ。炎を囲んで、無数のキツネやらオウムやイチジクがひとつの意識に注意を向けているのだ。ティッシュの先に、モノがあった。偉大なるモノだった。今は何の意味もないモノである。宗教を信じた空白の人たちは、闇の獣にまたがり湖の上を疾走していた時代。混濁する連なりの中で、感情が消えていく。苦しみもない。楽しみもない。ただ純粋認識があり、客観的事実だけがある。解釈を介錯して、ハラキリさ せるなんて、ナンセンスだろうか?私たちはいつでも私たちだったのだ。ひとつの世界、ひとつの自分がいるだけだ。