何かの本を読んでいると、

吉田健一の本に触れていました

 

そういえば、

吉田健一の本があったな

と思いいたり、

探してみると

『時間』と『三文紳士』

が見つかりました。

 

両方とも

古本屋で入手した模様。

 

読みはじめてはみたものの、

途中で挫折したので

いずれは捨てようと

思っていました。

 

『時間』を

読んでみました。

 

吉田健一の書き方に

かなりくせがあって

読みづらい。

読点(、)がこんなにない文章

は初めてです。

 

でも、

やめられなくなって

しまいました。

 

理解できたのは

せいぜい

1,000分の1ぐらい。

 

でも、

時間について

ちゃんと考えたことがなかったこと。

 

今まで時間と思っていたものは

数字にすぎなかったこと。

 

そのことが

身に沁みました。

 

『余生の文学』

というのも読みました。

 

偉くなりたい、

偉い人と思われたい、

そのために、読書する。

 

本を読んでる、

とか語る人のほとんどが

そういう動機で読書している

のではないですか?

 

そのことに触れて

吉田は

こんなことを言っています。

 

「この頃は現代の日本語で書いた小説の後にも

解説を付けてあるのはその為だろうと思う。

それを書いた人間が言っていることなどどうだろうと

一向に構わないのであるから、

その空白を埋めるのに例えば、

その人間の思想上の傾向だとか、

日本の現代文学で占めている位置だとか、

その日本の現代文学を分析した上での流派の

どれに属しているかとか、

よく考えて見ると

何のことか少しも解らないことが問題になり、

何のことか解らないことが解ったような気がする所で

我々が偉いことが証明される。」

 

爽快です。

秋晴れです。

異常乾燥注意報

が発令されそう。

 

中学のときの

夏休みの読書感想文

を、

解説だけ読んで書いてた私

が、懐かしく思いだされました。

 

そのときより

今の方が

成長した

などというつもり、

なし。