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航海日誌&船用品ご紹介&航海で役立つアドバイス広島市宇品船田船用品blog

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『波の狭間で』vol.2

5月1日 
早朝から雨がザアーザアー降りキャビンの中まで雨が入り込んできた。
雨音はどんどんひどくなる。
暗雲立ち込める空模様に陽の射す気配は無い。


「こりゃお父さん、こんなドシャ降りでは
金比羅山に行くのは無理かねぇ」
ところが朝食の準備をするころには雨音が弱くなり
午前9時にはすっかり雨が止み予定通り金比羅山に
行くことになった。

「お義兄さん、雨が止んだから金比羅山に行けるよ」
「俺は行かない、歩きたくないよ」
と言い出した。

義兄を励まそうと広島に来る事を勧めたが
義兄にとっては群馬で誰にも邪魔されずに好きなだけ
酒を飲み寝たいだけ寝ていたほうが良かったのだ。

「ウン、好きに過ごしていてね」
もう同情なんかするもんか、私の心に三メートルを
越す怒りの波が怒涛の如く押し寄せた。

港の近くに駅があると行動範囲がグ~ッと
広がりご当地名物や観光地を訪れ易くなり
旅の楽しみがグンと増す。

9:30 多度津駅から20分で琴平駅に着いた。

金比羅宮は海の神様。
象頭山(海抜521m)の東腹に建立されている。

石段は中腹にある本宮迄785段、山頂近くの奥社迄は
1368段有る。

痛めた右足首がジンジン痛む。

客待ちしていた籠に乗ろうと近づくと
二人の担ぎ手はお年寄りであった。

とても申し訳ないので自力で歩くことにしたもののふと、
彼らにとっては仕事なのだから乗ったほうが
良かったのだと階段の途中で気付いた。

始めは段数を数えながら登っていたが足が重くて
しんどいので数えるのを諦めた。

5人百姓の飴売りのところで一休み。
シンボルの紅傘は1軒お休みなのか4本しか開いていなかった。
気を取り直して先に進むと宝物館があった。

入館料500円を払い一歩足を踏み入れるといきなり雅な
36歌仙が目に飛び込んできた。

36歌仙は、読みやすい大きさの字で1首ごとに額に
入れられ入り口正面の壁面全体に飾られていた。

平安時代中頃に藤原公任が「万葉集」「古今集」「後撰和歌集」
から36人の歌人を選んだのが始まりで金比羅宮の絵は
狩野探幽3兄弟が描いた物を慶安元年(1648)
讃岐高松藩主松平頼重公が奉納したものであると
所縁が記されていた。

2階に上がると重要文化財の11面観音立像も拝観する事が
出来る。

しかし、照度が極端に落とされているせいか10個の
顔が確認できない。

「お父さん、正面のお顔の他に10個の小さな
お顔がある筈なのよ、でも私の目では確認出来ないから
良く探してみて」
「ウン、でもワシも目が悪くなったのか見えんよぉ」
階下に下りると受付の人が
「11面観音像のお顔は一つしか有りません、
10個のお顔は全部外れています」と
言うではないか。

「無いお顔を捜していたのだから見えない筈よね」
夫と顔を見合わせ大笑いした。

日本の油絵の父と言われる「高橋由一油絵展」を
見ようと学芸参考餡にも足を運んだ。

痛む足を引きずっても行く価値のある27点の作品に
出会えた。

中でも明治18年に描かれた「鯛」は今にも額縁から跳ね上がって
来そうな勢いである。

どの作品も構図が面白い。浮世絵を彷彿させる由一の作品は
ヨーロッパでは観ることの出来ない独特の画風を編み出していた。 

石段下で六人は合流し、昼食は名物の
讃岐うどんを食べる事にした。

二軒のうどん屋が軒を連ね、店の前で
お客の呼び込みをしている。

「お客さん!皇室ご一家もお立ち寄りになり、
雑誌、テレビでも紹介されている店ですよぉ!」

隣の呼び込みはその声に負けじと
「こっちは出来立ての手打ちだよぉ!」
と更に大きな声で叫ぶ。

その内、お互いを牽制するつばぜり合いが始まった。

ご近所付き合いは大丈夫なのだろうか?と
心配するほどヒートアップしていく。

14:26 琴平駅発の電車に乗り一駅で善通寺駅に着く。

善通寺のお堂の中にあるご本尊様の周りには、
様々なお顔の石仏が所狭しと並んでいた。

中には悪戯されたのか黒く太い眉が描かれた石仏がある。

世の中には罰当たりがいるものだ。

ご利益のある「足、腰守り」を買い、おみくじを引くと
末吉で
健康運の欄に「さわり有り」と書かれていたのだが
既に遅しの感である。

帰りはマリーナまでタクシーに乗り、料金1780円を支払った。

「お義兄さん、シャワーが、
とても気持ち良かったよ!入っておいでよ!」
と促すと
「ウウン、行かない.風邪を引いたみたいで
寒気がするから。」

「薬を飲む?」
「いらないよ、寝ていれば直る」
「寝袋も出しましょうか?」
と夫が優しく言うと
「いらないよぉ暑いから」
さっき寒いと言ったじゃないか!
もう義兄に対して私の心の波は漣も立たなくなっていた。

続く

船田 和江

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波の狭間で

2007年4月29日~5月6日迄の大型連休を利用してエヌ・ザークと澪、
スペルバウンドの3艇で大三島、多度津,仙酔島,岩城島を6日間の日程で
巡ることに決まった。

我々の艇には1月5日に心筋梗塞で亡くなった私の姉の夫も参加した。

山に囲まれた群馬県に住む義兄が一人淋しく休日を過ごすより瀬戸内海の静かな
海に身を任せれば義兄の気分も少しは晴れるだろうと
思ってクルージングに誘った。


4月29日 快晴 
8:30 スペルバウンドに三人が乗り込み意気揚々と母港である廿日市港を出航した。
 
宮浦港迄42マイル(≒67km)の距離を6ノット(≒11km)で
順調に航行すれば遅くとも午後3時30分には目的地に着く予定である。

10:00 金輪島沖でアクシデント発生! 夫がエンジン音の異変に気が付いた。

一瞬、昨年の夏にエンジントラブルで佐多岬行きを断念した時のことが
私の頭を過った。

「まだ出航したばかりだよ、ちゃんと整備したのでしょう?」
うんざりした口調で私が言うと
「したよ!ドックに入れてしっかり整備してもらったよ!」
夫が自分のせいでは無いことを強調するように大きな声で言った。

私とスペルバウンドの相性が悪いのか私が乗るとトラブルが発生する。

船は女性に例えられるのでヤキモチを妬くのだろうか? 

金輪島には、整備してもらった宇品マリーナがあるので
原因を調べてもらうことにした。

前さん、新居さんに状況説明をすると2艇も宇品マリーナに
向ってくれることになった。

仲間と航行する安心感を強く感じると共に足を引っ張ってしまって
申し訳ない気持ちで一杯になる。

マリーナで待機していた整備士は「エンジンに異常はないようです」
原因が分からないという風にしきりに首を傾げる。
前さんが
「溜まっている水を舐めてみんさい」と言った。
海水の味がしなければ外からの浸水では無いと判断出来るからだ。
「しょっぱくないから真水ですね」と整備士。
夫も水に浸した人差し指を舐め「ウン、海水ではないね」と確認した。

ひとまず沈没は避けられそうなので私はホッとした。

夫がタンクに水を入れ過ぎ、揺れて溢れた水がエンジン音に
共鳴したのが原因だろうと言う結論に達した。

10:40 3艇は再び宮浦港を目指した。その後は、波も穏やかで天気も快晴。

帆は最大風速20ノットの風を孕み順風満帆。
速度7,5ノットと快調に走り続けた。

13:00 安芸灘大橋手前に差し掛かると速度が6,4ノットから
4,2ノットに迄落ちてきた。
橋の真下では3,5ノットを計測した。
潮流に押し返され一歩も進まず周囲の風景が全く動かなくなった。

人生に於いても「時代の潮流に乗る」と表現されるようにヨットも
潮流に乗らねば一歩も先には進めない。
潮待ちし、やっとの思いで橋の下を通過すると
速度は5,7ノットに回復していた。

16:30 予定時刻を1時間遅れ、大鳥居のある宮浦港第2桟橋に着桟した。
17:00 マーレグラッシア大三島(0897・82・0110)まで歩いて風呂に行く。
入浴料500円 石鹸 シャンプーは無し。

17:30 夕食は安くて美味いと評判の居酒屋があるとの情報を
得ていたので早速その店に向う。 

大鳥居から石灯籠の続くメイン通りを真っ直ぐ行くと
木造風の美術館が在った。

この美術館には日本の鎧、兜甲冑の80%が展示されているそうだ。

残念ながら閉館時間を過ぎていたので観ることが出来なかった。

隣に目的の居酒屋「大漁」があった。
セルフサービスではあるが、コストが掛からない分とにかく安い! 

「雑誌でも紹介されているんですよ」女将さん自慢の海鮮丼は380円 
オコゼのから揚げ950円 鯛やハマチのスナズリの刺身各480円も
魚のアラの入った白味噌仕立ての味噌汁も美味しい! 

寄港先で新鮮な魚介類を安く口にすることが出来るのも
クルージングの醍醐味の一つである。

ほろ酔い気分で店の外に出ると道の両側に並ぶ家々の石灯籠にはオレンジ色の灯りが家庭の温もりを点していた。石灯籠が無くなると急に辺りが真っ暗闇になる。平らな道が続くものと過信したのがいけなかった。「グキッ!!」という音と同時に手を着く間もなく右足から転倒していた。自力では起き上がれない程の激痛が右足首に走った。美都子さんが「何も平らな道で転ばんでも」とコロコロ笑いながら助け起こしてくれた。お年寄りが畳でも転倒するそうだが私も齢なのかと思ったら急に酔いが覚めてしまった。

4月30日 晴れ  
6:00 「散歩に行かないか?」と夫が声を掛けてくれたので
痛む右足を引き摺り、夫にすがってフェリー乗り場まで行った。

途中、昨夜転んだ場所を確認すると平らだと思っていた
道には亀裂と段差があった。
「お父さん、齢のせいではなく整備不良の道だったんだね」
原因が分かると急に歩調が速くなった。

8:00 宮浦港出航 多度津迄48マイル 6ノットで
8時間の航行予定である。

私が操舵していると夫が
「この辺は水深が浅いから計器を良く見て!」
陸では、かかあ天下と自負しているが海の上では夫が絶大な権力を
持ち私は従順な妻に変身する。

計器を注意深く見ていると水深が60メートルから18メートルと
極端に浅くなる所があるので要注意である。

13:00 風がピタッと止まる。
風力5ノット、速度5,8ノット、セールは無反応。 

15:30 多度津港の合田マリーナ(0877・33・4477)に着岸出来た。
係留費6600円(33フィート×100円×2日)を前払いする。
シャワールームが2室あり、何よりも溜まったゴミを処分できるのが嬉しい!

17:30 皆で夕食に行くことになったのだが義兄は
「食欲が無いから俺は行かない。船酔いしたのか気分が悪い」と言う。

そりゃ、船酔いより酒酔いだろう?と思ったがグッと言葉を飲み込んだ。

義兄は我が家に着いたその日から3日間で25度の焼酎4リットルを既に飲み干していた。
乗船してからも朝から飲みまくっていた。

飲んでいない時は寝ている時だけである。
夫が「危ないから座って居て下さい」と優しく言っても
フラフラした足取りで船のデッキに立つ。

私も命に関わるのでつい強い口調で
「何もしなくていいから、そこにじっとしていて!」と
何度も注意するが酒漬けの義兄は聞いていない。

「美味しい魚料理があるから行こうよ」
義兄にこのクルージングを楽しんで貰いたい一心で誘うが
「俺は魚が嫌いだから行かない」と言う。

子供時代を長崎で過ごした義兄が魚を嫌いだなんて姉から
一度も聞いたことは無かった。

目の前でまるで駄々っ子のような義兄の言葉を聞くと私の心に
小さな白波が立った。

艇には食料も酒も充分用意してあるので義兄を残し、
6人で歩いて5分程の居酒屋に向った。

「笑笑門家」と書かれた看板を見て「なんて読むのかね」
誰に聞くともなしに私が呟くと美都子さんが「エエモンヤァ~!」と
大声で叫んだので一同大笑い。

脚が伸ばせる掘りコタツ風のテーブルが有りがたい。

ヨットに戻ると義兄が灯も点けずに酒とタバコの匂いが充満する
キャビンの中で焼酎を飲んでいた。

二本目の4リットル入りの焼酎が底をつき三本目のボトルが
テーブル上にデーンと置かれていた。

姉夫婦は、子供こそ授からなかったものの傍からみていても
仲睦まじい夫婦であった。

温厚な義兄は腕の良い左官職人でその真面目な仕事ぶりから
依頼が絶えることもなく毎日を夫婦二人で平穏に暮らしていた。

趣味も道楽もなくパチンコが唯一の楽しみという義兄であった。
姉の急死で義兄の環境は一変してしまった。

何しろ通帳も印鑑も自分の下着さえ何処にあるのかさっぱり分からず
タダタダ途方に暮れるばかりである。

「そんなに飲んでばかりいたら姉ちゃんが悲しむよ」としんみり語りかけた。

「辛いよぉ、とっても辛いよぉ!だってまだ4ヶ月しか経っていないんだよ」

義兄は子供のようにオイオイ泣く。
妻に先立たれた義兄に優しくしようとたった今思ったばかりなのに
甘ったれから抜け切れないその姿が情けなくて
「4ヶ月であろうが自分のことは自分でしなければこの先どうやって生きていくのよ」

せめてご飯と具沢山の味噌汁だけでも調理できれば命に
別状ないだろうが義兄はそれすら出来ない。

いや、やろうとしない。

この自立できない義兄の先行きを思うと深い深い底の見えない暗い海を感じた。

姉は生前「世の中には靴下を履かせて欲しい夫と履かせて欲しくない夫がいる」
と言っていた。

この言葉の意味は
「私がこれほど夫に尽くしているのにどうして夫は分かってくれないの?」
と嘆く妻は、夫の性格を見極めず正反対の対応をしているという意味であろう。

私の目から見ると姉は
「ウチは、履かせて欲しくない夫だから全く手が掛からないと」言って
世話女房を返上しているように見えたが義兄は、仕事以外のことは
全て姉の指示通り動いていたのだ。姉は見事に夫を操縦仕切ってこの世を去った。
遺された義兄は指示が無ければどう動いて良いか分からぬ人間になってしまった。

姉は、まさか自分が先に逝くなんて思ってもいなかったのだろう。

姉が生きている時と別人の義兄に接し私の義兄に対する見方が変化した。
同時に夫の自立に妻の責任は重いことにも気付かされた。

我が夫に「私が先に逝ったら三人の子供達に迷惑が掛かるのだから
アナタもせめてご飯だけでも炊けないと駄目よ」
というと「コンビニがあるから大丈夫さ」と嘯く。

「何を言ってるのよ、そりゃ一日二日は我慢できても毎日毎日コンビニ弁当
なんて絶対飽きてしまうわよ」
結婚以来三十三年、口から入る物は命と直結していると思い、
食材にはこだわってきた。

夫と三人の子供の弁当合わせて4つ作り続けてきた私のプライドが傷ついた。

私は、これ以上飲んだら悪酔いすると思いながら
酒をコップに並々と注ぐと一気に胃の中に流しこんだ。

続く
船田 和江

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中秋の名月

佐伯帆走協会では毎年10月に親睦を図る為、1泊クルージングを企画していた。

今年は7艇が参加することになった。

一度に7艇が停泊できるところは限られているので
企画担当者は頭を抱えて結構悩む。

2006年10月8日~9日の1泊クルージングは安下庄に決定。

それに先駆け前日の7日に「澪」と「エヌ・ザーク」と
共に3艇で沖ノ島を経由しながら2泊3日のクルージングを計画した。

しかし、7日当日の朝8時まで調整したが私の仕事の都合が付かず、
我が艇は同行出来なくなった。

残念ではあるがやはり仕事が優先するので8日に出航し2艇とは「
安下庄」で合流することになった。

予定の仕事を終えると食料も心も7日出航に備えていたので
その夜遅く廿日市に係留しているスペルバウンドに泊まることにした。

10月7日
ジプシー・キングのインスピレーション(鬼平犯科帖のBGM)を
聴きながらワインを傾け、寛いでいると

「夜空を見てごらん月がきれいだよ」
とまるで30年も前に遡ったような夫の声。

艇の入り口から夜空を見上げると
「ウワ~ッ!満月だねぇ~!!」
真っ黒な夜空に、くっきりとまん丸なお月様が私達を照らし出していた。

「明日は晴れるね」強風が気がかりだったが「大丈夫」と
お月様が太鼓判を押ししてくれているようでホッとした。

10月8日

8:00 廿日市港出航。 

お月様が確約してくれた通りの快晴である。

青い空に手を伸ばせば掴めそうな
低い位置に綿菓子のような丸い雲が5つ浮かぶ。

波は、ちりめん模様を描いている。

12:30 大畠の瀬戸を通過。
対水速度5,6ノット対地速度7,5ノットで橋の真下を
通過すると海面が渦を巻いているのが見えた。

急に対地速度12,1ノットに変化した。
水深も60メートルから突然20メートルと海底の高低差が激しい。

14:30 我々より1時間遅れて出航した筈の
ゼファーラ(42フィート)に抜かれた。
別にレースをしている訳でもないのにちょっぴりショック。

15:00 安下庄着岸。 
狭い漁港に7艇も停泊するので着岸まで1時間余りかかった。

漁港に停泊する場合は、漁師さんが早朝漁に出るので事前許可は絶対必要!

干潮の為、高さ3メートル程の岸壁に垂直に下ろされた梯子を
登らねばならない。

以前津和知に行った時のこと「澪」のクルーの荒木さんが
岸壁を登りきらず宙吊りになって「縄バシゴ~!縄バシゴ~!!」と
叫んでいたことを思い出す。

16:30 参加者総勢21名が迎えのマイクロバスに乗り、龍崎温泉へ。

夕食も此処だと聞いて「えっ、“ちどり”ではないの?」
安下庄と言えば魚介類をフランス料理にアレンジしている
“ちどり”だとばかり思い込んでいたので、ちょっとがっかりした。

美都子さんが私の気持ちを察知してか
「でも、此処も“ちどり”が運営しているんだよ」と
期待を込めて言った。

風呂に入り、個室に用意された夕食を皆で頂く。

メンバーは小学生、23歳の若い娘さんや青年、
定年後のおじ様達、夫婦連れと顔ぶれは様々であるが目的地に
無事到達出来た安堵感と膳に並べられた魚介類のご馳走に舌鼓を打ちながら、
どの顔にも幸せ感が溢れている。

窓の外に燈りが灯り夜空の月が昨夜よりも更に大きくなって覗いていた。

隣に座っている「澪」の荒木さんに月を指差し

「ウチの家族は全員あの月に土地を持っているのよ」と自慢をしたら

「えっ~!そりゃぁ詐欺にあったんじゃないの~」と言われた。

「詐欺でも良いじゃない、夢を買ったのだから」と私がムキになって言うと荒木さんは

「アハハハ!」と大きな口を開けて思いっきり笑った。誰かが

「20億円有れば、月に行ける時代だから長生きしてたら行けるかもね」と
私に希望を持たせてくれた。

19:30 再びマイクロバスで漁港まで送ってもらう。
夜空のまん丸お月様が、ほろ酔い気分の私に笑いかけていた。
満潮のお陰でヨットには軽々と乗り移れた。

「キャアー!」突然、美都子さんの叫び声が聞こえてきた。

「女房が海に落ちた!」と切迫した新居さんの声がする。スワッと立ち上がると美津子さんが

「シャワーを貸してね」とずぶ濡れで飛び込んできた。
艇から艇に飛び移る際、誤って落ちてしまったらしい。

聞けば美都子さんは、カナヅチで全然泳げないそうだが幸いな事に怪我はしていなかった。
水深10メートル以上はあるのに
「よく沈まなかったねぇ」
「沈む途中でロープに跨る格好でひっかかったから海底まで沈まなかったのよ、
海面下から見えた灯りがキラキラと輝いていて綺麗だったよぉ」
それは美都子さんしか味わえない世界であった。


10月9日

6:00 広島市横川町の町興しに尽力している山口さんのヨット
「シーホライゾン」が静かに出港し、続いて漁船が慌しく漁に出て行った。

8:00 私は、船酔いするので航行中に調理はしない。
朝食と一緒に昼食の準備もしておく。

バタバタと支度をしている内に気がつけば出航していた。
「アララ、9時に出航では?」「予定より早くなったんよ」

「声を掛けてくれれば良かったのに出港準備手伝えなくてごめんね」

「構わん構わん」夫の役に立ちたいと思っても海の上ではなかなか能力を発揮できない。

せめて食事だけでも夫の好物を用意してあげねば。

6艇が次々帆を揚げ航行する様は雄大で美しい!

9:00 沖に白波が立ち風力は23ノット。
スペルバウンドは果敢に風に立ち向かうが速度

5,5ノット 波の高さ3メートルにも翻弄される。

不思議な事に私は船酔いしていない。

「お父さん、コレだけ揺れても船酔いしなくなってるよ」

「ウン、慣れてきたんじゃろう」

少しは世界1周に近付いた気がした。

片島付近で風も波も弱まってきた。
青い空に鱗雲が広がり飛行機雲が一筋白いラインを描いている

11:00 柱島沖に停泊して昼食をしていると1羽の海鳥が艇のすぐ近くに浮かんでいる。
人を恐れず群れていない1羽に孤高を感じる。

14:25 大黒神島沖から島を見ると山肌がむき出しになっており痛々しい
砂の採取の結果であろうが景観を著しく損なう。
あの山に植樹したとしても緑を取り戻すのに何十年も掛かるであろう。
私はギリシャのエーゲ海と瀬戸内海の多島美の違いは島の緑にあると思う。エーゲ海に浮かぶ石灰岸の白い島には潤いが無い。
エーゲ海をクルージングした時に喉の渇きを覚えた事を思い出す。
ふと、マストを見上げるといつからだろうか?
トンボが1羽止まっている。
もしかしたら安下庄のトンボだろうか?お月様もトンボも鱗雲もすっかり秋を告げている。

17:00 廿日市帰港

船田 和江

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