2010年12月27日、上村明子さんの遺族は桐生市と群馬県を相手取り、計3200万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。
訴訟を避けたいと考えてきたにもかかわらず、学校や行政側が背を向けるような対応をし続けてきたことで、逆に訴訟に踏み切る決断をせざるを得なくなったらしい。
そして、2011年2月18日、初めての口頭弁論が開かれたが、被告側は「いじめが自殺の原因だったとは即断できない」と主張し、請求棄却を求めている。
遺族の思いを考えれば苦渋の選択だったのだろう。しかし、裁判は長く苦しい茨の道、第2第3の被害者を生むことになりはしないか。
自治体としては、裁判に持ち込まれては引くことはできない。もしここで引いてしまっては今後、同様な事件があった場合、賠償金を払い続けることになる。その財源は市民の「血税」。
裁判は闘争。戦いの場では相手の一番弱いところを突く。今回の訴訟の一番のポイントは、自死の原因がどこにあったか、ということ。
もちろん、原告は学校のイジメがその原因だと主張している。しかし、被告はそれを認めない。ほかに原因を求めるとしたら家庭。
親子の日頃の関係、、、イジメがあったとしても「負けずに学校に行け」と強要したのなら非は家庭にも、、、子ども日頃からときちんとコミュニケーションを取れていたのか、、、、主に矢面に立たされるのは、フィリピン人の母親、ということになるだろう。
では、原告はいじめが原因だとどう立証できるのだろうか。いつ、だれがどんないじめをしたか、それがどのように明子さんを傷つけ自死に追い込んだか、、、これらを立証するにはどう証拠・証言を集めることができるか。子どもたちは小学校を卒業、教員も異動がある、こういったことを考えても、相当な困難が予想される。
となると矛先は、崩壊状態だったといわれる学級、イコールその担任。こんな状態ではイジメが起こるのは当たり前、、、イジメがあっても対応していない、、、自死の予見もできなかったのではなく、しようとしなかった、、、表面上はそういう状況を看過した自治体が被告になってはいるが、実質的に矢面に立たされるのは一個人。
自分が教員だから言うのではないが、こういうことが続いたら教員になろうという人はいなくなってしまうだろう。
どちらが勝っても負けても幸せな結果に結びつくと思えない。と考えて今までのイジメ訴訟のことをネットで調べていたら、和解という道を選んだ例が出てきた。その中でも4年前、大阪府豊中市の大商学園高校1年が自殺した問題では、解決金ではなく、校庭への植樹や記念文庫の設置で合意している。それが公になったのは期せずして2011年2月18日。今回の事件の初めての口頭弁論と同じ日。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110218/trl11021822550025-n1.htm
どのような内容で和解するかは私が口を出すことではないだろうが、ぜひ群馬県に多文化共生の風土を作り上げる方向で考えて欲しい。